ようこそ!


「AFTERNOON PIANONNO(アフタヌーン・ピアノンノ)」は、平成4年の北大ピアノクラブ創設当初所属していた部員のうち、一部のOB/OG仲良しメンバーが集まって2010年からやり始めた、小さなサロンコンサートです。茨城で知り合った音楽を愛する仲間さんたちと一緒に年に1度集まり、なるたけお金をかけずに気軽に音楽を楽しもうという、ただそれだけを思って始めた、ささやかな集まりです。 ぼちぼち、ゆる~く、続けていこうと思っております。よろづ帳はこちら! ブログへのご意見・ご要望はこちらまで。

2019年7月16日火曜日

AFTERNOON PIANONNO 2019 開催します!

今年2019年も、AFTERNOON PIANONNOを開催します!

令和最初のAFTERNOON PIANONNO、そして10回目のAFTERNOON PIANONNOです。いつものように、プログラムをOさんご夫婦に、当日の写真撮影をロイコさんに、音響を取手のI.Kさんにやっていただけることになりました。いつもありがとうございます!

まだ曲順未定、追加演目もあるかもしれませんが、現時点の曲目リストを掲載します。


・スクリャービン ソナタ4番 Op.30 第1,2楽章
・ディスニーメドレー
・キャサリン・ロリン 不思議なユニコーン
・ギロック フランス人形
・樹原涼子 好きなこと
・岡本敏明 どじょっこふなっこ
・ジョン・トンプソン てじなのめいじん
・ジョン・トンプソン がちょうとかえる
・ケーラー ドイツ民謡
・北村俊彦 ブラック・ホール
・中村八大 上を向いて歩こう
・久石譲 君をのせて
・米津玄師 Lemon
・ベートーベン ソナタ テンペスト第三楽章
・Neru & z'5 病名は愛だった
・松任谷由実 リフレインが叫んでる
・ドビュッシー  子供の領分より「雪が踊っている」
・ショパン エチュード Op.10-9
・シューマン ダヴィッド同盟舞曲集Op.6より抜粋(第1,4,5,6,8,10,14,13,17,18曲)
・カプースチン 10のバガテルOp.59より第1曲ほか
・アルベニス イベリア第2巻より 第6曲トゥリアーナ
・ショパン マズルカ Op67-2、Op67-3
・ドビュッシー  エチュード10番
・ショパン スケルツォ1番
・ファジル・サイ トルコ行進曲 ジャズ
・ブルグミュラー バラード
・シューベルト 子守歌
・自作のメドレー
・にしのあきひろ えんとつ町のプペル・プロローグと歌
・エルガー 威風堂々


今年も、近くから遠くから多くの音楽友達に来ていただけることに、ただただ感謝しています。楽しい演奏会になりますように!



2018年9月3日月曜日

O.Mさんが今年も力のこもった所感を寄せてくださいました!

埼玉から来てくださったM.Oさんが、今年もまた力のこもった所感を寄せてくださいました。
思うのですが、今回9回目となったアフタヌーン・ピアノンノ、M.Oさんの所感自体もほぼ同じくらい積み上げられているうちに、所感そのものの進化も感じるような気がしています。これは、小説家の域ではないかというくらいに(というか、実際に出版されているので半分あってるんですけど!)、読み手に訴えるものを感じる「作品」のような気がしてきています。M.Oさん、いつも本当にありがとうございます。

というわけで、内容はそのまま、氏名のみイニシャルに変えて、転載させていただきます。


=============================================================== 所感ここから

例年、O家の作るプログラムの完成度が半端でないなあと思うのですが、どこまで意図して構成しているのかは私には判断できないところがあります。

今年もまた、プログラムを開いた瞬間に「これって、四大元素でまとめている?」と思ってしまったのでした。四大元素とは「風」「土」「水」「火」のこと。ざっくりと、この四つの要素にそれぞれの音楽を先入観抜きに分類し、それぞれの元素の中での流れを考えて全体の世界観を作っているように思いました。無論、作成者当人はそんな事は考えていなかったかもしれませんが、すべて聴き終わってみると「いやあ、凄いなあ。やはり、四大元素だ」と思わざるを得ない順番でした。それぞれの音楽が四大元素の構成要素としてその場所でぴたりとはまっています。もう、これ以外考えられないという感じ。

というのは全くの私の先入観にすぎない訳ですが、その先入観に沿って、心に残っているそれぞれの音楽の印象を綴っていきます。




●第一部 風の章
・M.Oくん ブルグミュラー 清らかな流れ
 意図したものかどうかはわかりませんが、後のドビュッシー「喜びの島」「雨の庭」に続くような、まさにオープニングにふさわしい輪郭のくっきりした演奏でした。こういう根っこにある演奏スタイルみたいなものは、お母さんからの影響もあるんでしょうかね。


・Y.Kさん 久石譲 崖の上のポニョ
 結構、リズムが難しい曲だと思うんですけど、難なくきっちりとメリハリつけて堂々と弾けるY.Kさん、なかなかに大物ですね。指で弾いているというより、腕の重さをうまく使って身体全体で弾いている感じがよかったです。


・Y.Sさん ドイツ民謡 かわいいオーガスチン
      ドイツ民謡 モルゲンレーテ
 かわいいオーガスチン、不謹慎ながら今はなき「カメラのきむら」を思い出してしまいました(カメラのキタムラではありません)。一方、モルゲンレーテはドイツ語で「朝焼け」の事で、ガンダムとは無関係です。さらにややこしいのは、ドイツ民謡とも無関係な題名ということ。日本の山岳人が歌うために作った和製ドイツ語なんですね。そんな余計な事はどうでもよくて、強調したいのは、Y.Sさんのタッチ。とても明快でまっすぐストンと響いてくる音が大変心地よかったです。リズムもしっかりしていて素晴らしいです。


・H.Kさん ベートーヴェン エリーゼのために
 若いころは、あまりに皆がこの曲を弾くので、あまり真面目にこの曲に向かい合う気にはなれませんでした(単に天邪鬼だったのです)。しかし、様々な音楽に接した後に改めてこの曲を聴いてみると、ABACAの単純なロンド形式ながらなんとも不思議な曲だなあと感じるようになりました。譜面上の指示が意外と少なく、全体の指示もPoco moto(こころもち動きをつけて)だけなので、弾く人によってだいぶんと解釈に幅があります。ちょうど告別ソナタと同じころの作品なので、そういう背景も考慮に入れて弾く人もいます。今回のH.Kさんの演奏、AからB、CからAの転換も明確な対比をつけるというよりも、表情を少し変える程度にとどめ、そっと頬に触れる夕方のそよ風のようにまとめてくれました。


・H.Sさん フランス民謡 おもちゃのへいたい
      バイエル さよなら
 どちらもしみじみした気持ちになります。ピアノにまつわる様々な情景が思い浮かぶという事もあるのかもしれませんが、そういう印象を取り除いても、音楽自体に味わい深さがあるように感じます。前の「かわいいオーガスチン」や後に続く「ぶんぶんぶん」とは違い、ピアノの世界だけで聴かれる音楽というのも大きいかもしれません。ともあれ、H.Sさんが一生懸命弾いて音がこぼれてくるだけでピアノの世界の扉を感じます。


・K.Mさん ボヘミア民謡 ぶんぶんぶん
      ドイツ民謡 ちょうちょう
 あまりに有名な昆虫音楽2曲。と言いたいところですが、「ちょうちょう」の方は、ドイツ本国では「幼いハンス」という蝶とは全く無関係な歌詞。ただ、ドイツでも歌詞は後からつけたもので、どちらも本来の歌詞があるのかどうかも不明です。でも、メロディ自体はどちらもドイツあたりの民謡が原型であることは間違いないようです。K.Mさんの無垢でシンプルな演奏は、会場の静寂さと相まって「癒しの時間」を作ってくれました。それにしても、みんな静かに聴くようになりましたね。


・K.Mさん、H.Sさん、K.Sさん(連弾) チャーチル いつか王子様が
 一気に大人びた曲となりました。ディズニーのアニメ映画、白雪姫(1937)の挿入歌として有名な曲ですが、あまたのジャズ編曲もあります。映画公開時の年にガーシュインが夭折していた事を考えれば、こういった音楽の土壌があった事も頷けます。というより、今回は演奏もさることながら、ピアノの周りにこびとさんたちが集まったような様子が微笑ましく、視覚的な効果も絶大でした。無論、白雪姫役はベース担当のK.Sさんです。


・M.Oくん、M.Oさん(連弾) 黒須克彦 夢をかなえてドラえもん
 しっかりした伴奏に支えられているとはいえ、この曲はいざピアノで弾くとなると案外と裏拍のリズムとるのが難しいんじゃないかなと想像します。歌う時は、それほどリズムの難しさを意識しないのですけどね。そこはデジタル(不連続的)な音しか出せないピアノとアナログ(連続的)な音をいくらでも出せる声楽との違いでしょうか。しかし、その辺のリズム感覚は、M.Oくんのピアノ演奏はバッチリで、ピアノで自然に歌うという事を何気にやっていてさすがだなと思いました。


・M.Kさん バッハ メヌエット
 備忘録的に書いておくと、このメヌエットはBWV Anh 114でト長調。おそらく今の日本では既にパデレフスキーやボッケリーニを超えて最も有名なメヌエットでしょう(有名になった原因はたぶん薬師丸ひろ子の「ラバーズコンチェルト」のせい)。プロのチェンバロ奏者の人もよく弾く曲なので、すっかりそっちに慣れていたせいもあって、M.Kさんのピアノ演奏、何ら気負いのないシンプルな所が初々しくて新鮮でした。チェンバロの人は、結構、こういった曲でも装飾音や即興的なパッセージを激盛りすることがあって、それはそれでいいのですが、音楽素材の良さが引き立つ今回のようなまっすぐな演奏もいいですね。


・M.Gさん ブルグミュラー すなおな心
      ブルグミュラー アラベスク
 どちらも非常に美音な演奏でした。M.Gさん、自分の出している音をしっかり聴いている感じでしたね。もしかすると、性格の違う二つの曲の音色を意識的に作っているのかなとも想像しました。ともあれ、音に対するセンスがいいなあと思いました。なお、ブルグミュラーのアラベスク、なぜこの行進曲風の曲の表題がアラベスク(唐草模様)なのは未だに謎なのですが、誰か理由を知っていますか?


・H.Kさん、Y.Kさん、A.Kさん(連弾) 久石譲 君をのせて
複数の独立した声部を互いに助け合いながら懸命に弾いている様は感動的でした。やはり連弾は音の厚みがあるのでいいですね。テンポやフレージングの広がりもまさに思い切り向かい風をうけて「地球はまわる 君をのせて」という感じになっていて非常によかったです。第一部のフィナーレにふさわしい、堂々たる演奏だったと思います。





●第二部 土の章

・O家兄弟 (ショートコント) 翼をください
 少し聴きとりづらい所もありましたが、新しい試み、ぜひ今後も思い切ってやってほしいです。こういった替え歌やコミックソングは昔から庶民の音楽の中では重要な位置を占めていて、かのモーツアルトも親しい人への手紙などでいろいろなふざけた替え歌を作っています(無論、正式な作品ではありません)。そして、その楽曲としての具体例が最後の「動物の謝肉祭」です。日本の狂歌もこれに近いでしょうし、今は伝統芸能扱いの能楽も元々はこういった土着の滑稽寸劇がもとだったと言われています。つまりはこうしたショートコントは意外と伝統のあるものなのです。できれば、自分で創作して「新作」を発表してほしいです。


・S.Mさん エルメンライヒ 紡ぎ歌
 S.Mさんにはちょっと申し訳ないのですが、どういう訳か、前のコントに続いて訥々としたこの曲の演奏が始まった瞬間、コントの可笑しさが増幅された感じがして、つい吹き出しそうになってしました。曲も演奏も、いたって正統かつ端正なものだったのですが、組み合わせというが前後関係というか、ピタッとハマるというのはこういう事かなと思いました。まさに、間奏曲のような感じになったのです。演奏者にはなんら責任はありませんが、まさにプログラムの妙と言えましょう。なお、紡ぎ歌、後のルーマニア民俗舞曲2曲目の帯踊りも実質同じ種類の楽曲です。


・S.Kさん 中村天平 君がくれたもの
 雰囲気が一気に変わって、中村天平さんのリリックな曲。実は初めて聴く曲で、やはり超越技巧で攻めてゆく印象が強かった中村天平さんに「こんなストレートでシンプルな曲もあるんだ」という発見がありました。中村さん、メロディメーカーでもあったんですねえ。月並みな感想ですけど、そんな曲を情感たっぷり込めつつもキラキラした宝石のような演奏として聴かせてもらえて感謝です。


・A.Oくん、M.Oさん(バイオリン+ピアノ) ゴダイゴ 銀河鉄道999
 私にとってはこの曲は懐メロのようなものなので、どんな楽器で演奏しても頬が緩んでしまう訳ですが、ヴァイオリン&ピアノもいいですねえ。ピアノ連弾版や吹奏楽版で聴くと、この曲の勇壮な感じが良く出るのですが、A.Oくんのような堂々としたヴァイオリン演奏だと鉄郎の独立心が凛としてたちあがってゆくような清々しい印象を受けました。伴奏も鉄郎を支えていくような雰囲気でよかったです(それが伴奏というのかもしれませんが)。
 この映画版の曲をもって「銀河鉄道999」と言われる事が多いのですが、個人的にはテレビ版「銀河鉄道999」のささきいさおの歌う主題歌も大好きで、まさにヴァイオリンを歌わせるにはうってつけの曲ですので、是非ともご検討を(と無茶を言ってみます)。


・Y.Mさん バッハ イギリス組曲2番より ジーグ
      ゲディゲ 歌のように
      ガルシー バスに乗って
  知らない作曲家・作品を知るのは、このアフタヌーンピアノンノの楽しみの一つです。今回もバッハからのごく自然な流れで、親しみやすい二つの曲が続き、初めて聴く曲なのにどこか懐かしい心持ちがしました。調べたところ、バッハに続く二人の作曲家はだいぶんと異なった時代の人で、生年没年を記すとゲティゲ(Alexander Goedicke)は1877-1956、ガルシー(Janina Garscia)は1920-2004のようです。ガルシーの「バスに乗って」は唐突に不協和音で終わったので、ちょっとびっくりしましたが、バッハ再評価時代らしい対位法的なゲティゲの「歌のように」とのコントラストが効いていて、なかなか巧みな曲の配列だと思いました。


・S.Iさん ドビュッシー ベルガマスク組曲より「月の光」
  時間が引き延ばされたようなテンポに、すぐにその独自の世界に引きずり込まれてしまいました。個人的には今回最も印象に残った演奏かもしれません。この曲、完璧に磨き上げられたガラス細工を愛でるような演奏が現代では主流になっています。それはそれで美しいのですが、昔はいろいろなタイプの演奏がありました。S.Iさんの演奏は、戦前のディズニー映画「ファンタジア」でカットされたと言われる「月の光」を彷彿とさせるような一音一音を踏みしめる滲んだ実在感が広がってゆくものでした。とはいえ、現在流布されているこの曲のテンポ感が身体に刻み込まれていると、弾きやすい所は走ってしまいがちで、今回のテンポで弾きとおすのはそれなりの意志と持久力が必要かと想像します。しかし、見事にイン・テンポを通しました。凄い胆力です。と思っていたら、来年公開予定の米国映画「Godzilla・King of monsters」の予告編のBGMがこの「月の光」でまさに今回のテンポ感でした。つまり、S.Iさんの演奏は、地下から現れる巨大怪獣を思わせるほどスケールの大きい演奏だったという事も言えるように思いました。私の勝手な思い込みにすぎませんが、今回の演奏は、ゴシック・ロマンスな「月の光」というのが私の中ではしっくりきています。


・Y.Oさん ドビュッシー 前奏曲集第2集より 交代する3度
  ドビュッシーを愛好する人そして虫嫌いな人には大変申し訳ないというか不快となるであろう事を書きます。どちらか(もしくは、どちらにも)に当てはまる人は、ここは読み飛ばしてください。
ずいぶん前にドビュッシー前奏曲集のそれぞれの曲へ自分なりに動物を当てはめるという遊びをしていた時がありました。さすがに音像の作曲家ドビュッシーだけあって、聴いているといろいろな動物のビジョンが現れてきます。例えば、「沈める寺→シロナガスクジラ」とか「西風の見たもの→遡上して産卵する鮭」とか。そして、この「交代する三度」でイメージされたのが「Periplaneta fuliginosa」(一応、学名でカモフラージュ)。触覚を動かして周囲を伺い、いきなりものすごい速度で走り出し、どこかへ消えてゆく。そうイメージした瞬間から、私の中でははまりすぎていてそれ以外のイメージが浮かばなくなりました。どんな名手の演奏でも、思い浮かぶのはPeriplaneta fuliginosaの大胆不敵なあの行動様式です。ある意味、メカニカルな部分が強調される演奏であればあるほどにPeriplaneta fuliginosa感が増大します。ところが、今回のY.Oさんの演奏ではそのPeriplaneta fuliginosaのイメージがいっさい現れませんでした!人からみれば、そんなの知るかという話ですが、これは私にとっては画期的な事なのです。Y.Oさんの演奏は、人影に驚いて逃げまどうケープハイラックスの子供たちが脳裏に鮮明に浮かびました。

・A.Mさん ブラームス 間奏曲 Op.117-3
      谷川賢作 その時歴史が動いた
 やはり大切な曲を繰り返し弾き続けるというのはいいなあと思います。同じ人が弾けば、根っこのところは大きくは変わらないのですが、1年前と比べれば身体の細胞のほとんどが入れ替わっている訳で、少しずつ何かが違ってくるものです。それは、過去の演奏と録音で聴き比べればある程度わかることですが、生演奏でしかわからない事もあります。過去の演奏を録音で聴き比べるというのは、既に未来を生きてしまった故の「補正記憶」になってしまっている可能性があるのです。何が言いたいのかというと、「たった今、この曲を弾いている」というその「今」しか存在しえない何かが大切じゃないかと思う訳です。そこには演奏そのものだけでなく、ともにその場にいた人々の共体験も含まれます。そんな事をついつい思わせてしまう滋味あふれる演奏でした。今回は中間部のちょっとした荒々しさが漏れ出てきたのが新鮮でした。A.Mさんにはこれからも弾き続けて欲しいです。
 続く「その時歴史が動いた」ですが、盛り上げるところは思いっきり盛り上げる熱演に聴き入ってしまい、条件反射的につい「さて皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいります…」の松平定和アナの声が脳内再生されて、気分は大団円となりました。そして、「大胆不敵にハイカラ革命」の千本桜へ続きます。


・A.Oくん、M.Kさん(バイオリン+ピアノ) 黒うさP 千本桜
 この曲がバルトークの前にあるのは個人的に非常に嬉しかったです。なぜかというと、1)メロディーラインのほとんどが東洋の音階である五音階(短調)であるにもかかわらず単なる演歌調にならないように巧妙に処理されている事(なお、この曲を長調にすると沖縄民謡風になります)。2)前奏(と間奏)で3:3:2のリズムでくさびを打ちつつ、他の部分は基本的にアチェルランド(加速)したくなるようなリズム音型(2:2):(1:1:1:1)が通奏低音的に刻まれている事。この二つの特徴によって、結果的に明治以前の日本のアップテンポな民俗舞踊を現代的な風味で再構成されるような曲になります。曲の性質としては、当然、バルトークと親和性は高いです。なお、この曲はもともと初音ミクというボーカロイドのための作られたもので、黒ウサPのPはプロデューサーの略です。
 今回のA.OくんとM.Kさんのヴァイオリンとピアノの演奏、これほどに落ち着いた演奏になるとは思ってなかったので、かなりびっくりしました。いつもは加速するリズムに扇動されて感覚的に聴いてしまうこの曲の構造的な素晴らしさがわかる演奏でした。同時にこの冷静さ、次に弾く私へのプレッシャーにもなっていたりします。

 
・M.Oさん ベラ・バルトーク 6つのルーマニア民俗舞曲
 これは古層の音楽です。どういうことかというと、この作品はバルトークがルーマニアの農村部へ録音装置を携えて直に民謡採集したものが原型になっているのです。20世紀初頭のヨーロッパでは既に古い民謡は本来の形ではなくなっていました。というのも、古い民謡は中世以降の西洋音楽の体系に組み込まれて「洗練化」してしまっていたのです。そうした洗練化された「民謡風」の素材を活用した作曲家は大勢いましたが、バルトークは「民謡の原石(古層)こそ、これからの音楽に必要なのだ」と確信していたのです。ということで、バルトークは、辺境の地に奇跡的に伝わっている古い音楽を求めて東欧地域を採集録音旅行していたのでした。その成果の一部が、この6つのルーマニア民俗舞曲です。民族ではなく民俗であることに注意です。民俗音楽は、ある地域の土地・環境に密接に根付いている小さなコミュニティにおいて先祖代々伝えられてきた古層の音楽です。一方、民族と言った場合、やはり国境や村という政治的な単位が入るので、ちょっとニュアンスが変わってくるのです。バルトークが採集した録音を聴く限り、この曲集はほぼ生の民俗音楽の素材を使っています。つまり、この曲集は近代化以前の農村に確かに存在した音楽のタイムカプセルなのです。その後、辺鄙な農村であってもラジオ放送や交通網の発達で、音楽的には完全に近代化されきっていて、古い音楽は残されてないでしょう(この曲集に使われた民謡採集地点は、ストリートビューで見る限り、今でもかなりな田舎でしたが)。
 という理屈はともあれ、この曲は私にとっては本当に身体の奥底から湧き上がる何かを抑えられない音楽なのです。好きとか心地よいとか感動するとかいうのとは全く違う何か。客観的な視点でこの作品を処するのは譜面上では可能なのですが、いざ弾き始めると自分が何者なのかわからなくなるような強烈な始原的な音楽の力があるのです。という訳で、久々に人前で弾くのはちょっと冒険でした。結果、緊急停止あり、脱線事故ありのなかなかにお恥ずかしい演奏で申し訳ない想いでいっぱいではありますが、こんな演奏でも、東欧エリアの古層の音楽の雰囲気が少しでも伝わっていれば幸いであります。


・Y.Oさん バッハ 平均律第2巻より第4番
      スクリャービン ピアノソナタ第3番第4楽章
 「バッハの平均律には森羅万象のすべてがある」とはよく言われますけど、典雅な前奏曲でじっくり変容しつつ、急速なフーガで一気に全容が見えてくる様は、まさに前のバルトークの乱調から真っ当な心持ちを取り戻させるのに十分な貫禄ある朗々たる演奏でした。
それに続くスクリャービンの4楽章は、地から湧き上がるマグマのような演奏を久々に堪能しました。(Y.O君としてはすべて放出しきっていないのかもしれませんが)やはり音響のダイナミクスが凄まじく、息の長いクレッシェンドの後の伽藍のような大音響が素直に心地よかったです。まさに、小噴火を繰り返しつつ最後に大噴火を達成させ噴石を飛び散らせているかの如き、con fuocoでした。




●第三部 水の章
・M.Oさん ドビュッシー 喜びの島
 この曲ほど聴く人によって思い浮かぶイメージが異なるものはそうそうないでしょう。というか、何かしらイメージがわかずにはいられない曲ですね。タイトルから島までの船旅を想定する人もいれば、島での楽しみが走馬灯のように現れる様を考える人もいるでしょう。タイトルを知らない人がこの曲を聴くと、これまた様々な情景がいくらでも出てくるのが面白いです。タイトルについている島はギリシャのキティラ(シテール)島なのですが、ドビュッシーがその島に行った訳ではありません。「シテール島の巡礼」という絵画の印象を音楽にしたものと言われています。が、実情は妻を捨てて他の人妻に夢中になって浮かれている時の心情を素直に表したという事らしいです。なお、シテール島は性愛の神アフロディテゆかりの島。そう思うと、ちょっと地に足がついてない感じが全編にわたってあるのも頷けます。
M.Oさんの演奏は、音の塊がかなり前面に出てきていて、浮かれ側面よりも生命力の方があふれるような感じの健全な雰囲気が充満していました。もしかすると、無人島での野趣あふれるサバイバルの様子を描写した音楽に聴こえた人もいるかもしれませんね。


・S.Mさん、A.Mさん(ハーモニカ連弾) 赤木顕次 明治45年度北海道大学恵迪寮歌「都ぞ弥生」
 去年以上に即興性あふれる二重奏で、この寮歌を歌う状況も同時に再現されているようでよかったです。北大構内の栄枯盛衰の象徴サクシュコトニ川のせせらぎを思い浮かべつつも、木造の恵迪寮を知るS.Mさんと星型恵迪寮しか見てないA.Mさんとの合奏はやはり途中拍子が変わったりしてスリリングかつ憧憬を感じさせるものでした。この曲、合唱団などが綺麗にきっちり歌い上げてしまうとまた違う感触になってしまうのですよね。


・M.Nさん ギロック 雨の日の噴水
 程よく制御されたレガートと見通しの良いフレージングで見事に透明感あふれる水の情景を表現できていて、飛び入りというにはあまりにはまりすぎていた清涼な演奏でした。情景と言いましたが、あくまで心の中の情景であって、実際に雨の日に噴水へ行ったら、この曲のような光と水あふれる感覚にはならないかもしれません。そして、改めてギロックは、合衆国の穏健な作曲家だけあって、ルロイ・アンダーソンやモートン・グールドと同じ空気を感じます。なお、ギロックは「教育音楽界のシューベルト」と呼ばれていたらしいですが、次に「西洋音楽史上の」シューベルトが続きます。


・K.Sさん シューベルト 即興曲 Op.90-2
 シューベルトは膨大な歌曲を残した作曲家ではありますが、実は「情景描写」だけの音楽は大変少なく、原則的に彼が音にするのはやはり人の内面でしょう。歌曲において歌詞にあわせた情景描写の部分があったとしても、それはあくまで内面を伝えるための「舞台装置」にすぎないように思います。この即興曲もまた、何か具体的な風景を表現したというよりも、心に浮かぶ泡沫の気分を譜面に落としていった作品でしょう。という訳で、時折、この曲を物凄いスピードと音量でガリガリ弾く人がいたりすると、「内面の発露」というよりも「工業製品の生産」という言葉が浮かんでしまいます。K.Sさんの演奏、ゴリゴリと押してくる感じではもちろんなく、かといって、さらさらと流麗に通り過ぎてしまうスタイルでもなく、一歩一歩自分の心持ちを確認しながら流れるせせらぎのように、まさに即興性にあふれた味わい深いものでした。


・I.Kさん、S.Kさん、N.Mさん(ピアノ+ボーカルデュオ) 松任谷由実 雨の街を
 この曲を歌っている頃は松任谷由美ではなくて荒井由実でした。その頃のユーミンは、後の完全にコントールされた歌声とは違って、もっと不安定で生々しい部分があり、彼女の原型のようなものが感じられて「この時代の方がいいなあ」と個人的には思ってしまいます。声は身体に直結していますので、年齢の変化・心情の変化というのは出やすいのでしょうね。そんな生身のユーミンの曲をS.Kさん&N.Mさんの二人で歌う事で、不思議な揺らぎが生じていました。それは、まるで荒井由実の倍音成分豊富な歌声を二人で再現する試み(?)かのように聴こえ、何気に挑戦的な二重唱だったのではと思いました。
 もしかすると、ある世代にとっては、デビュー当時の荒井由実の音楽は70年代の「都ぞ弥生」のようなものだったのかもしれません。


・M.Oさん ドビュッシー エチュード~5本の指のための
     ドビュッシー 雨の庭
 「エチュード1番の5本の指のために」は後の「動物の謝肉祭」の「ピアニスト」にも続く音階練習から始まる曲。生演奏で聴いたのは初めてでした。ドビュッシーのエチュード全曲を演奏会で弾くというのもあまりなく、抜粋となったときには大抵は終曲の12番の「和音のために」が演奏される事が多いようです。そして、この1番、実際に生で聴いてみてこのように響くのかと感嘆しました。そして、この「5本の指のため」は「雨の庭」とカップリングすると大層効果的という事も実感。「雨の庭」は「喜びの島」と同様に、前へ前へと押し出されてくるM.Oさん独自の音響によって原曲の「嫌な天気だから、もう森にはいかない」が「ゲリラ豪雨だから、森には行ってはいけません」のような趣に。まあ、作曲者もそういう効果を狙ってタイトルを変えたのかもしれません。


・C.Gさん チャイコフスキー ドゥムカ Op.59
 バルトークとは違ったアプローチで民謡主題を使った作品です。ロシア六人組はロシアの民謡をかなりストレートに流用していますが、チャイコフスキーはかなり洗練された形で自らの交響詩的小品として民謡を落とし込んでいます。副題は「ロシアの村の風景」となっている訳ですが、私はこの曲の前奏を聴くと、豊饒な土地を悠々と流れる大河の遠景を思い浮かべます。そして、その岸辺の村の人々へフォーカスが定まってゆき、舞踊的な展開が始まるといった感じになります。実際にはこの曲にある旋律の舞曲は実在しないでしょうけど、そこはチャイコフスキーの技法でバーチャルな農村風景が浮かぶように作られているのです。C.G君がそのような情景を想っていたかどうかはわかりませんが、今回の演奏は一つ一つのフレーズに川べりの情景が匂い立つような絶妙なニュアンスがあふれていて、単なるショーピースにとどまらない情緒あふれるこの曲の良さを十分に賞味できるものだったと思います。


・A.Mさん ブラームス 間奏曲 Op.118-2
 何度弾いても「これで完璧」という演奏にはなりそうにないのがOp118-2という作品だと思っています。逆に、その時その時に弾いたのが、それぞれのベストとも言えるかもしれません。この作品の音符の先にある世界は、演奏者の人生の写し鏡でありましょう。その時を精一杯生きていれば、自ずと演奏の中にその人の内面の澱が溶け行く様が見て取れるはずです。何を訳わからない事を書いているのかと自分でも思いますが、A.Mさんの今回の演奏はそんな感慨を抱かずにはいられない万感の想いが詰まったもののように思えたのです。と同時に、この先、この作品はA.Mさんの中でどこに向かうのかという事も気がかりです。もし、どう弾いたらいいのかどう感じたらいいのか行き詰まったら、誠に勝手なご提案ながら、是非ともOp119-4に挑戦して、新たな地平を身体に刻み込み、新たな心持ちでOp118-2へ戻ってきてほしいと思います。


・M.Mさん スクリャービン ピアノソナタ第2番 Op.19 「幻想」
 まさに今回のM.Mさんの演奏は「水のための幻想曲」ともいうべきものでした。かなり湿度のある音色に支えられつつ自由にゆらめく少しつかみどころのないフレージングが私を水への世界へ誘います。あくまで個人的な妄想ですが、1楽章は沼の岸辺からボートを漕ぎだして、様々な回想を振り返りながら向かい岸にある因縁の廃屋へ向かう情景が浮かびます。そして、2楽章は険しい渓谷の激流に揉まれて溺れないように必死に浮かびあがろうともがく、水という流体の抵抗を感じてしまうような演奏でした。M.Mさんにそんなつもりはなかったのかもしれませんが、私にそう思わせてしまうのはやはり演奏全体に「水の感触」を錯覚させる音の実態が感じられるためでしょう。特に2楽章では本当に水しぶきが頬に当たったように感じるくらいにリアルでした。これがもっとメカニカルな練習曲風にガリガリと演奏されるとまたかなり違った印象となるように思います。






●第四部 火の章(水本桂さんの部)

・ ショパン バラード 第1番
 NHK版「ピアノの森」の雨宮修平の演奏を思い出した人もいるかもしれませんね。NHK版は原作の豊饒さからするとアニメ作品としては今一つなのは否めませんが、登場する演奏が本格的なのでどういうことかと思ったら、登場人物のキャラクターに近い若手のピアニスト、それも国際的に活躍している人を起用していると聞いて納得しました。で、その雨宮修平のピアノ演奏を担当しているのは、高木竜馬さん。この人の演奏は、録音で聴く限り、水本桂さんの求心力のある演奏スタイルと通じるものがあり、充足した音楽体験を堪能できます。そして、今回の桂さんのバラードも物語の起承転結の容赦ない激しさと厚みで、炎燃え盛る壮大な悲恋譚を大ホールの特等席で観劇できたような充実感に満ち溢れていました。いつも予想はしてはいますけど、やはり間近で聴くと圧巻の熱演です。


・ サン・サーンス 動物の謝肉祭
 世の中にはストラビンスキーの「春の祭典」をピアノ独奏で弾くという到底信じられない事をする人が実在します。その演奏CDを聴くと、ピアノを通してあの複雑なオーケストレーションの曲が確かに聴こえてくるのです。鍵盤は理屈の上では(指は十本なので)最大20音しか同時に出せないはずなのに、管弦楽の音が聴こえてくるように感じるのは本当にマジックです。その演奏家にどうやって編曲し演奏したのかを尋ねたインタビューがあり「オーケストラ譜を見ながらその瞬間瞬間のインスピレーションで弾いている。特にピアノ用には譜面にはしてない」という回答でした。それを読んだときは「なんじゃそりゃ!同じ人間とは思えない」と思ったものですが、本当の音楽家というのは、そういう情報処理は朝飯前らしいのです。
水本桂版「動物の謝肉祭」もほとんどその世界です。ピアノ独奏版の楽譜はあるにはありますが、そもそも桂さんが見ているのは室内楽用の楽譜。以前、ラフマニノフのチェロソナタをピアノ独奏に直して弾くというのも驚きましたが、今回はさらに声部が増えて、様々なキャラクターの曲が集まっていますから、元の編成の音楽として生き生きと聴こえるように音色や旋律線を臨機応変に瞬時に変えてゆかなければなりません。しかし、聴こえてくる音楽は「動物の謝肉祭」そのものなので、聴き手は「こういうもの」として鑑賞します。しかしながら、メカニカルなテクニック以前に「動物の謝肉祭」として聴かせるという事にどれだけの音楽的な素養・技能を必要とするか気が遠くなります。この水本桂版「動物の謝肉祭」の素晴らしさ・凄さを実感するために、是非とも標準的な編成の「動物の謝肉祭」と水本桂版の演奏とを聴きくらべてみてください。

そして、この曲は、サン・サーンスによるショートコント集ですから、桂さんもそんなに深く考えることなく、思い切りはっちゃけていました。ピアノの機能全開・メカニック的に破局寸前の様相になるまでフルスロットルです。さらに、桂さん自身の語りもあるとなっては贅沢にも程があります。さらにさらに!エキストラの皆さん、あまりにはまっていて驚愕でした。これぞ以心伝心です(まあ、フライング以心伝心もありましたが)。そして、今回の他の人の演奏をも総括するような盛大なフィナーレ。終わった瞬間のピアノの弦にマッチを近づければ火が付くんじゃないかと思えるほどの爆演でした。本当にお疲れさまでした。





最後に

・ youth case ふるさと
 Y.O君の事前の的確な指導とわかりやすい譜面のおかげで、結構難しい(と私は感じる)、混声合唱の曲を皆で歌う事が出来ました。本番でも各声域にリードしてくれる人がいて、初めての人でも歌いやすかったのではないでしょうか。やはり、ハーモニーが声で作れると盛り上がりますね。この集まりがある種の「ふるさと」のように感じられ、アフタヌーンピアノンノの未来へ何かをバトンタッチしたような心持ちになりました。





=============================================================== 所感ここまで


文筆に長けた方であることは自明なのですが、これを書くのに使われた労力を思うと本当に頭が下がります。感謝しかありません。
いつもアフタヌーン・ピアノンノを見守っていただいていることを文章から切々と感じます。本当に、ありがとうございました。


2018年7月30日月曜日

AFTERNOON PIANONNO 2018 ご参加御礼

こんばんは。ユングです。

AFTERNOON PIANONNO 2018を終えて、本日一息つきました。いつも支えてくださっているご参加の皆様、お疲れさまでした。


なかなか毎回うまく進行を回せない素人司会で恐縮ですが、皆様のフォローに助けられながらなんとか無事に終わりまで行きつくことができて、ほっとしております。ありがとうございます。

子供たちの明るい元気な演奏、大人たちの渾身の演奏を聴いて、本当に毎回やる気を引き出させられます。そしてまた、来年なにを弾こうかな、と考え始めています。


そうそう、A.Kさんに言われて気が付いたのですが、来年は10回目なんですね。Anniversaryです。
まだ早いですが、なにか面白いことできたらな、と考えています。
きっとまた来年も、よろしくお願いします。


今回のブログラム曲目を載せておきます。


●第一部
・ ブルグミュラー 清らかな流れ
・ 久石譲 崖の上のポニョ
・ ドイツ民謡 かわいいオーガスチン
・ ドイツ民謡 モルゲンレーテ
・ ベートーヴェン エリーゼのために
・ フランス民謡 おもちゃのへいたい
・ バイエル さよなら
・ ボヘミア民謡 ぶんぶんぶん
・ ドイツ民謡 ちょうちょう
・ いつか王子様が
・ 黒須克彦 夢をかなえてドラえもん
・ バッハ メヌエット
・ ブルグミュラー すなおな心
・ ブルグミュラー アラベスク
・ 久石譲 君をのせて

●第二部
・ (ショートコント) 翼をください
・ エルメンライヒ 紡ぎ歌
・ 天平 君がくれたもの
・ ゴダイゴ 銀河鉄道999
・ バッハ イギリス組曲2番より ジーグ
・ ゲティゲ 歌のように
・ ガルシー バスに乗って
・ ドビュッシー ベルガマスク組曲より「月の光」
・ ドビュッシー 前奏曲集第2集より 交代する3度
・ ブラームス 間奏曲 Op.117-3
・ 谷川賢作 その時歴史が動いた
・ 黒うさP 千本桜
・ ベラ・バルトーク 六つのルーマニア民俗舞曲
・ バッハ 平均律第2巻より第4番
・ スクリャービン ピアノソナタ第3番第4楽章

●第三部
・ ドビュッシー 喜びの島
・ 赤木顕次 明治45年度北海道大学恵迪寮歌「都ぞ弥生」
・ ギロック 雨の日の噴水
・ シューベルト 即興曲 Op.90-2
・ 松任谷由実 雨の街を
・ ドビュッシー エチュード~5本の指のための
・ ドビュッシー 雨の庭
・ チャイコフスキー ドゥムカ Op.59
・ ブラームス 間奏曲 Op.118-2
・ スクリャービン ピアノソナタ第2番 Op.19 「幻想」

●第四部
・ ショパン バラード 第1番
・ サン・サーンス 動物の謝肉祭

最後に
・ youth case ふるさと



音響を手伝ってくださったI.Kさん、写真撮影をしてくださったH.Kさん、プログラムを作ってくださったO夫妻さん、ウェルカムボードを作ってくださったM.Mさん、ペダルの出し入れなど気を回してくださったC.Gさん。そして会場に足を運んでくださったみなさま。本当に、ありがとうございました。



取り急ぎ、御礼まで。




2017年8月26日土曜日

アフタヌーン・ピアノンノ2017 お待たせしました!ユングの棚上げ所感!

アフタヌーン・ピアノンノ2017の演奏会から1か月がたとうとしておりますが、遅ればせながら毎度おなじみユングの棚上げ所感をしたためましたので、こちらに掲載させていただきます。



この演奏会は、自由が一番のモットーですから、演奏もそうだし聴くほうもそうだし、終わった後に感想書くのも自由であれと思います。先に福島のM.Oさんが渾身の所感を寄せてくださっており、私の所感は蛇足でしかありません。まあ、音楽の学問的知識を一切持たないただの聴衆の一人がこう感じたのだというだけのものですので、軽くお読みいただけると幸いです。いつもどおり、演奏順に書いていきます。







●第一部


1. M.Oくん
 ギロック アルゼンチン
 ギロック ガボット
 グローバー くるみわり
手元を見ずに一心に楽譜を見て弾く子供の姿。あれよあれよと3曲も弾きました。手元や指の動きがとてもフリーで可動域を広く使って、しっかりとした音を出していました。アフターでも自分からピアノに向かって行って、この子は本当にピアノが好きなんだな、と感じました。この先どんな上達を見せてくれるのか、来年は何を弾くのかが楽しみですね。


2. Y.Sちゃん
 小森昭宏 素矢車草のワルツ
音色にとても特色がある子です。とにかく優しい音を出します。音量を抑え気味に、スピードはゆったり、なんというか、女の子らしい、女性的な弾き方と言ったらいいのでしょうか。選曲もそういえばそんな感じがします。服も夏らしい花柄のワンピで、総じて今日の演奏会の中で女子力が一番高い演奏でした。


3. N.Mさん+ユング連弾
 ギロック 歩道のカフェテラス
私の妻があい方の連弾です。指が近くなるとなぜかパニクってほぼ同時にシンクロミスタッチ。まあ、楽しかったからよかったです。良い思い出になりました。ありがとう。


4. H.Sちゃん
 バイエル ピアノのおけいこ
ソロを弾くのは初めてだったかな?リズムをしっかり取れて、つぶもそろっていて、ノーミスで弾き切りました。今までの出演ではかわいらしい歌声でおいしいところを全部持って行っていたH.Sちゃん。これからピアノがどんな風に成長していくのかとても楽しみです。個人的には、ママに近いショパン弾き系統になりそうな気がします。


5. K.Sさん
 ショパン ノクターン20番 嬰ハ短調 遺作
アフタヌーン・ピアノンノでショパンと言ったらこの人だろう、という安定感のあるK.Sさんです。どうしてなんでしょうね。でも事実、王道ショパンをまさにショパンらしく弾けるのはこの人くらいなものだと思います。物悲しい、愁いを帯びたこの曲の表情を、そのままストレートに表現していました。音がうるさくなく、あくまでしっとり、さすがのショパンでした。


6. K.Mくん
 アメリカ民謡 雪山讃歌
ユング次男です。柔道の先生からいただいたギターで弾き語りに挑戦しました。コード2つしかないというので選んだのですが、歌が全然音取れなくてだいぶ苦労していました。なんとかギリギリ間に合いましたかね。よかったよかった。


7. M.Kちゃん
 久石譲 海の見える街「魔女の宅急便」より
去年あたりから目覚ましい進歩を遂げているM.Kちゃん。ちゃんと練習してないと滑らかには弾けない曲を、ペダルワーク含めて危なげなくさらりと弾きました。成長してもピアノを続けていてくれる姿は本当にうれしいですね。きっとずっとずっとこのまま続けてほしいです。


8. S.Iさん
 パッヘルベル カノン
大人になってから始めたピアノ、着実に、一歩一歩、しっかりと練習を重ねて上達していることが演奏からよくうかがえました。リズムを時計のようにしっかりと取り、音の粒もしっかりそろうと、この曲の右手と左手の掛け合いが美しく光り輝きます。やはりカノンはいい曲だなあと思い出させてくれる、その場を春の日差しで満たすような名演でした。


9. K.Mさん
 ハチャトゥリアン 昔のお話「少年時代の画集」より
怪しい和音の森に迷い込んでいくような曲です。迷っているうちにまた元のところに戻ってしまい、また最初と同じ節が流れます。妖精が歌って踊っている様子が思い浮かびます。この曲を好きで弾くというところも、最初の自然な挨拶も、本当に大人になっているなあとしみじみ思うと泣けてきました。中学に入っても音楽を続けているというのがうれしいですね。ずーっとずーっと続けていてほしいですね。


10. K.Tさん(飛び入り)
 Clark Black Stone
耳コピー楽譜なし、自分の中で音楽をかみ砕いて、しっかりと自分のものになっていますが、この曲を弾きたい、と思った瞬間の彼の精神状態が曲とシンクロしているんでしょうね。前にも言いましたが、単に低音ということではなく、和音の性質としてしみじみと重い、複雑、なにか運命か宿命のようなものに縛られて悲しげな眼をしている和音たちをずるずると引きずりつつも、それでも前へ前へ向かって進んでいこうとする覚悟のようなものを感じました。これからも自分なりの音楽のとらえ方を楽しんで続けていってほしいですね。


11. A.Jさん(飛び入り)
 杉本竜一 ビリーブ
ユング妻のお友達のA.Jさんが飛び入りでビリーブの伴奏をしてくださいました。みんながよく知っている曲をパッと伴奏できるというのはいいですね。この歌、曲は長調ですが、歌詞そのものはよくよく読むと少し重くて辛いですね。ビリーブというタイトルには、今の辛さを乗り越えた未来への一筋の光を見出そうとする願いを感じます。飛び入りであったにもかかわらず、ほぼ全員が歌ってくださり、素敵な合唱になりました。こういうの、ひとつあるといいですねー。






●第二部


12. I.Kさん
 ショパン 前奏曲「雨だれ」
最初の音を忘れる、とおっしゃってました。私も経験あるのでわかります。1オクターブずれて弾いていたり。今回本番では全く危なげなく、安心して聴いていられました。この有名な曲、情景としては、雨がしとしととあるいはザーザー降る中を不安な心持でなにかを待っているイメージがありますが、ことさら濃い味付けはせずに淡々と自然体で弾いている感じがI.Kさんらしさがよく出ていました。肩の力がいい感じに抜けていました。


13. M.Kちゃん
 久石譲 君をのせて
ラピュタのテーマ。自分で選んだ曲でしょうか。もしそうだとしたら、なかなかこの年頃の子でこの曲を自分で選ぶことってないのかなという気がしますが(同じ久石でもトトロと魔女はよく弾かれるかなと思います)、私もラピュタが好きなので楽しく聴かせていただきました。一音一音がしっかりと出ていて、基本的な練習をさぼらずにちゃんとやっているような音がしました。これからの成長が楽しみな子です。


14. N.Tさん(飛び入り)
 シューベルト 即興曲Op.142-3
音大に進み、さらに良い学びを得ていることをうかがわせる演奏でした。音が流れ出した瞬間、温かな春の日差しの野原で仲良しカップルがゆったり散歩をしていました。寝転がったり歩いたり時々ダダっと走ってみたり、空を飛んでみたり。途中は仲たがいしたりするところもありつつ、おおむねいい感じで幕を閉じます。こんなちょっと短い寸劇を見ているような気持になりました。ぜひこれからも来て弾いてほしいですね。そして、音大での成長を聴かせてほしい。


15. N.Kさん(飛び入り)
 グラナドス 演奏会用アレグロ
音大でN.Tさんのお友達のN.Kさんが来てくださり、飛び入りで弾いてくれました。この曲は私の学生時代の友人がよく弾いていたので、その演奏の印象しかなかったのですが、N.Kさんの演奏を聴いてイメージががらりと変わりました。とても柔らかい音でした。強く出るところでも硬くならない、どうしたらこういう弾き方ができるのか聞きたい気がしました。情景は、やっぱり「波間に光り輝けるもの」です。大海原の波間に小さな無数の光の粒がちりばめられていました。ただただ、美しかったです。ぜひこれからも来て色々弾いてほしいですね。


16. S.Mちゃん
 轟千尋 雨上がりの朝
ピアノをやめかけ寸前の私の娘です。1日5分でいいから練習しなさいと言っています。1日5分て、昔の横浜銀蝿かなんかの歌の歌詞にありましたね。勉強1日5分とかって。まあ、自分も小3でやめてるんでまったく他人のこと言えないです。でも大人になってから再開してもそれはそれで楽しいので、どこか人生の片隅にでいいからいつも音楽を置いておいてほしいですね。


17. M.Oさん
 ショパン 即興曲Op.29
 シューマン 5月、愛しい5月よ「ユーゲント・アルバム」より
 シューマン=リスト 献呈
2曲目のシューマンの5月の印象がとても良かったです。メロディがわかりやすい、なじみやすいというのもあるでしょうが、まるで恋愛映画の映画音楽に出てきそうな、乙女の姿を感じる演奏でした。最後の献呈は、5年前に水本桂さんが弾いた曲でした。本当にいい曲ですよね。シューマンが作曲したもとの曲のイメージとはおそらくだいぶ違うのだと思いますが、このリスト編曲はまさにこのタイトルという感じです。M.Oさんの演奏は、タイトルよりもさらにゆったり大きく雄大さを感じさせる演奏でした。こんな難しい曲を3曲も仕上げてくるところ、本当に頭が下がります。


18. M.Oさん
 フィリップ・グラス オープニング
 大平万里 間奏曲
グラスはなんとなく大平原の中に敷かれた終わりのない一本の線路の上を走っていくようでした。スピードもあって流れているのですが、少しどこか愁いを感じます。2曲目の自作の曲では、金魚鉢を外から眺めていて、金魚に思いをはせているうちに、気が付くと自分も金魚になって金魚鉢の中に自分が入ってしまう気がしました。本当に久しぶりにM.Oさんの生演奏を聴きました。懐かしい、昔学生時代に聴いたのとはだいぶ違っていましたが、M.Oさんらしい、淡々としつつ細部の緻密さなどがよく感じられて嬉しかったです。これからも「弾いて」ほしいです。


19. S.KさんI.Kさんご夫婦連弾
 ピアソラ オビリヴィオン
オブリヴィオン、「忘却」という意味だそうです。このタイトルと曲を聴いた感じから、ぞわぞわと、ひたひたと、なにか怖いものが覆ってくる感じがしました。昔フィギュアスケートで村主さんがこの曲を使ってフリープログラムを組んでいて秀逸でした。このご夫婦連弾では、奥様の低音がよく効いた重心の低さもさることながら、別の個所では音量を抑えて細々と途切れそうな高音パートが生きてきて、広いレンジを使って表現されていたと思います。怖いけど個人的にとても好きな曲なので嬉しかったです。


20. S.Mさん+ユング(ハーモニカ)+JUNちゃん(ピアノ伴奏)
 赤木顕次・作曲、横山芳介・作詞 北海道大学恵迪寮歌「都ぞ弥生」
母校の寮歌です。アフタヌーン・ピアノンノでこれをやるのは一つの夢でした。この歌、本当に歌詞が素晴らしいんです。当日にJUNちゃんが即席で伴奏を引き受けてくれました。この歌を、私がお世話になっている柔道の先生(母校の大先輩)とハーモニカで合わせました。年齢こそ全然違いますが、やはり同じ母校のDNAを共有する仲間だなあと、嬉しくなりました。なお、先生の挨拶が10分にもなったのはいつものことで、ご愛敬でございます。






●第三部


21. Y.Oさん
 フランク 前奏曲「前奏曲とフーガ、変奏曲」より
今回プログラム構成を組んでくださったY.Oさんの演奏です。この曲絶対どっかで聞いたことあるんですが、どこで聞いたか思い出せません。映画音楽のような感じがしますが、バロックのような気もします。どこかちょっと厳かな怖さがあります。小川さんはいつも不思議系の新しめの曲が多いのですが、たまにこういう昔風の選挙区もあります。どういう好みで選曲しているのか聴いてみたい気がします。


22. JUNちゃん(飛び入り)
 前日の夜に「明日行きます」、当日の朝に伴奏を頼まれ「わかりました!」、本番を聴いているうちに興が乗って「ソロも弾きます」このノリの良さがJUNちゃんの持ち味です。演奏も昔の彼と変わることなく、まったく練習していない曲でも聞いた曲はたいてい再現できるという彼の一芸によるものでした。飛び入り大歓迎です。


23. S.Iさん(飛び入り)
 ウイナー 茶色の小瓶
1部でカノンを弾いてくださったS.Iさんが、発表会で1音ズレのリベンジで飛び入りくださいました。こんどはライトなジャズ。大人になって最近ピアノを始められたと聞きましたが、それにしては難しいジャズのリズムをきっちり刻み、ミスもなく音もしっかり出ていて、ずいぶん進歩が速い感じです。柔道のできるピアノ弾き、いいですね。


24. A.Oくん
 ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲
毎年弾く曲が難しく長い曲になっていて、ああ年々進歩しているのだなあと感心する子です。今年もそれをひしひしと感じさせてくれました。こんな長い曲、いつの間にできるよになったんだろう、やはりお母さんお父さんが音楽に向き合う姿を毎日見ているからでしょうか。今回はママがピアノ伴奏でしたが、せっかくヴァイオリン協奏曲なら、ほかの楽器もシミュレーションしてオーケストラっぽくとかやってみたい気がしました。


25. N.Tさん+K.Tさん親子
 アンジェラ・アキ 手紙
N.Tさん定番の十八番です。出てきた瞬間にぱっと華やかさが広がる不思議な方です。しかしまさか途中でご子息がハモリで入ってくるとは思いもよりませんでした。最初はこの低音はどこから聞こえてくるのか、だれの声だろうと不思議に思って周りを見渡すと、ご子息が舞台の母の隣で低音を響かせているではありませんか。そのハモリ、どうなんでしょう、たぶん楽譜があったのではなくこれも即席で自分なりにずらしたハモリではないかと想像しますが、とても適切で自然なハモリになっていました。親子のこの阿吽の呼吸は素敵ですね。


26. ユング
 ブラームス 間奏曲Op.117-1
私です。自分の演奏なので感想がありませんが、この日やれることはやったかなと思います。ブラームスの間奏曲、どれもいい曲ばかりです。ぜひ皆さんも弾いてくださいね。


27. M.Mさん
 シューマン 交響的練習曲Op.13より抜粋
私はこれまでちゃんと聞いたことがない曲でしたが、こんな情景が浮かびました。前半は、長い道のりをずーっと迷いながらただ一歩一歩歩いているような、ずーっと辛い感じが続いていました。後半は、一転してなにか解き放たれて自由を得て大はしゃぎして走り回っている様子が浮かびます。あと、とても印象的な下降系の和音のつながりがあって、私はそこがとても気に入りました。妄想の内容は人それぞれで、演奏者が伝えたかったものとは異なることもあるでしょうが、こうしたストーリーが伝わるM.Mさんの演奏には、M.Mさんがこの曲を通して伝えたい何かがあり、かつそれを表現する技術を深く広く持っているからだろうと思います。





●第四部


28. アーロンくん
 クレバノフ 百万長者のホータウン
 マリー 金婚式
小学校2年生だそうですが、バイオリンのことはよくわかませんが、やっていることが相当難しいのではと思います。難しそうなトリル、ビブラート、和音、そして和音の中に内声があったり、こんなことを小学2年ができるんだ、とそこにまず驚きました。いやー、すごい。思わず私はアフターで一体どうやって弾いていたのか本人に尋ねてしまいました。ご両親の教員環境というのもあるでしょうが、本人が持っているもっているものがやはり大きいのだろうなと思いました。ブラボーです。


29. 水本桂
 シューベルト 即興曲Op.90-3
 ドビュッシー 月の光「ベルガマスク組曲」より
 チャイコフスキー=プレトニョフ アンダンテ マエストーゾ「くるみ割り人形」より
シューベルトが始まった刹那、目の前に穏やかに水をたたえて空を映す湖面と、そこをゆったりとすべる小舟が見えました。あるいは、穏やかな心持で誰か大切な人のことを思う自分の心がありました。ドビュッシーはあまりに有名すぎて、浮かぶ情景はまんま月の光しかないわけですが、桂さんの月の光は、ささやかで聴き取れるか取れないかの囁きから、空いっぱいの大きさを感じるダイナミックレンジの広さを持っていました。やはり弾く人によって、弾き方によって、同じ曲でも印象はだいぶ違ってきますね。そして圧巻のチャイコフスキー。私は初めて聴く曲でしたが、いやー、こんないい曲が世の中にあったんですね。どことなく部分的にロシアらしい旋律が聞こえる箇所がありますが、全体としてあまりそうした民族色が前面に出てくるわけではなく、それよりも、ただただ、ひたすらに美しい音楽でした。なにか素晴らしいものを得て久しぶりに故郷に戻ってきたような、輝かしい未来を感じるような。まさにトリにふさわしい演奏でした。ありがとうございました。ブラボー!







●終わりに


今回、ひとつ大きな反省がありました。やはり調律は必要だということです。ログハウスは利用者が勝手に調律してはいけないというルールがあるのですが、ちょっとルールを調べて、なんとかもう少し良い状態に持っていかなければ、演奏会としてあまりにもったいないというのが今回思ったことでした。調律を入れるとその分参加費用は上がりますが、みんなで割ればそんなでもないはずなので、来年は少し考えようと思います。

今回が8回目になるアフタヌーン・ピアノンノです。毎年いろんな変化がありつつ、それも含めてなにもかも「自由」ということを外さずになんとか続いています。しかしそれはつまり、来てくださる方みなさんがこの場の集まりが大好きで、ここにいることを楽しみにしてくれることがなによりのエネルギーであり条件であることを意味しています。それがないと絶対にこんな続いていません。本当にそこが奇跡的だなあと、ありがたいなあとしみじみ感謝しております。

音響ではI.Kさんに完全にお任せになってしまいました。というか、実は音響だけではないんです。ビデオを見返していると、マイクスタンドの移動やギターのチューニングやら、零れ落ちそうな作業のほとんどをI.Kさんが舞台袖で拾ってくださっているんです。これだから私はいつも思います、I.Kさんは支柱のような方だなあと。本当にありがとうございます。

そして写真はいつもroikoさんに完全に甘えてしまっています。今年もまた大変な作業を頼んでしまいました。立ちっぱなし、席も外せず、責任だけは重大。本当に感謝しかありません。いつも素敵な写真をありがとう。でも演奏もやってくれよな!そん時はオレが撮る!

プログラム構成は今回飛び入りが多く頭を悩ませたY.Oさん、そしてプログラムレイアウトと印刷までやってくださったM.Oさん。構成は今回、飛び入りに柔軟に対応できるようにという非常に難易度の高いものでしたが、入った飛び入りを部のトリに持ってくるなど大胆さが光りました。プログラム構成は演奏会ではとても重要な要素だと感じています。結局この構成が全体として自然に流れていると、ひとつの大きな曲のようになります。だから構成者は指揮者でありオーケストレーションをする人です。誰にでもできることではなく、Y.Oさんでなければできないプログラムになったなあと思いました。またレイアウト作成は1-2時間とか言ってましたけど、そんなわけはなくて、全部いろいろ含めるとけっこうな作業量のはずで、それを楽しんでやってくださるご夫妻にただただ感謝です。ありがとう。



そして毎年素敵なキャンバスを作ってくださるM.MさんとK.Mさん親子さん。この親子の感性はほんとに素晴らしい。これこそがオリジナル、本当のナチュラルです。他の誰にもまねができません。無限に湧き出るアイデアの泉が二人の頭の中にあります。だから毎年、今年はどんなだろう、どんなだろう、と楽しみにしています。いつも遠くから来てくれてありがとう。心から感謝しています。



みんなが密かに楽しみにしているK.Sさんの自作スイーツ。今年はくまのプーさんのクッキーと、マドレーヌでした。美味しいだけでなく、形とかのこだわりがすごいんです。見てよし食べてよし。演奏だけでなくこういう楽しみも大事ですよね。いつもありがとうございます。



毎年、長文の所感を寄せてくださる福島のM.Oさん。深く広い知識と自由な発想から、M.Oさんにしか書けない、ロジカルでありつつコミカルでもある楽しい所感です。私のようにDVDを見て書くのではなく、その時その瞬間音をとらえてその印象を文字に起こしていらっしゃいます。これはもうM.Oさんにしかできません。いつもありがとうございます。

演奏会の会場であるログハウスの確保は、ユングの妻がやってくれています。ただ予約するだけではなくて、実は裏でいろいろやりとりが発生しています。決して電話一本で済むものではなく、これもいつも本当にありがとう。それ以外の準備もいろいろしてくれていて、本当に妻には感謝しています。

そして、いっぱい演奏してくださった人たち、聴きに来てくださった人たち。なによりもまずここがないと始まらないです。だから、みんなに愛される雰囲気でなくてはと思います。これからもそういう雰囲気であり続けられるよう、考えていきたいと思います。

そんなこんなで、みんなが作り上げた演奏会です。よく8回も続いてくれたなあと、しみじみ思い、その奇跡に感謝しかありません。これをまたこの先もずっとずっと積み重ねていけることを願っています。


ありがとうございました!






2017年8月9日水曜日

福島のOさん渾身の所感を寄せてくださいました!

福島は会津から今年のアフタヌーン・ピアノンノに来てくださったM.Oさんが、今年もまた渾身の所感を寄せてくださいました!

毎年、今年はどんな所感くださるだろう?と楽しみにしつつ、これ書くの相当エネルギー使っただろうなと、その苦労を思うと本当にありがたいことです。ありがたく読ませていただきます。






ここから==================================

 「音楽は人生である」といった場合、私の中では意味が二通りあって、一つは某音盤屋の「NO MUSIC, NO LIFE」のような「音楽なしには生きられない」という意味。これはわかる人には説明なしにわかるし、わからない人には言葉を尽くしても理解してもらえない事でしょう。そして、もう一つは「音楽の存在そのものが、人生に似ている」という意味。音楽も人生も「時間」という要素なしは成立しないので、音楽に関わると言うことは、多かれ少なかれ「人生のミニチュア」を仮想体験することになります。

 音楽を奏でたり聴いたりする時、曲の種類にもよるでしょうが、やはり何らかの「物語(ドラマ)」を感じることが多いのではないでしょうか。歌詞がつけばなおさらです。ただ、「物語」と言っても、必ずしも小説のようなくっきりした筋が見えるものばかりではありません。時間の経過とともに「変化」してゆく何かを感じとる事だって、無意識のうちに「物語」を自分の中で作ってしまっているものなのです。そして、日々の変化の中で生じる「言葉にならない物語」を未来へつなげながら自分の人生も作っているのではないでしょうか。言うまでもなく、頭で考える「人生設計(ライフプラン)」などというものは、概ねその通りには進まないもので、(外 部的にも、内面的にも)想定外の事が起こり、出発点からすると随分と違う場所に立っている事が多いものです。そして、過去の些細な出来事が、思わぬところでつながったりするのも生きていゆく中でしばしば経験することでしょう。


 今年のアフタヌーンピアノンノ、それぞれの演奏の素晴らしさもさることながら、演奏会全体を見渡してみると、この演奏会自体が4楽章構成の交響曲のような、まさに「人生そのもの」のように感じられ、思い返すたびに趣深い余韻を感じます。

 これはまずプログラム構成されたY.Oくんの設定した絶妙な曲順によるところが大きい。まさに演奏会全体が大きな物語になるように非常によく練られた(深く考えてなかったという噂もありますが)見事なものでした。その完璧とも言えるプログラムに、飛び入り参加がなんと6回も。その都度、Y.O君の鮮やかな采配で、まさに実際の人生のように想定外の出来事が様々な化学反応を誘導したのでした。そして、演奏会全体が実際の人生のように立ち現われたのは、言うまでもなくそれぞれの音楽が「生身の人間と共にそこに生きていた」からに他なりません。


 ということで、今年は個人個人の音楽の印象と言うよりも、演奏会全体の中でどんな位置づけだったかという、多少私の主観的(思い込みとも言う)視点あるいはこじつけな内容が多くなるかもしれません。なお、飛び入り参加者には*印をつけています。






1楽章 Allegro fresco (初々しく快活に)


M.Oくん 
ギロック(William L. Gillock) :アルゼンチン、ガボット
グローバー (David Carr Glover):くるみわり →終曲へ


 和音がきっちりと揃って前に出ていて、まさに演奏会冒頭を飾るにふさわしい明快な演奏でした。曲の性格分けもはっきりしていて清々しかったです。そして、「アルゼンチン」は、後に登場するピアソラのオブリヴィオンへ、「ガボット」はマリーの金婚式(実質的にガボットの曲ですへ)、そして「くるみわり」は言うまでもなくフィナーレのチャイコフスキー「くるみ割り人形」へとつながってゆきます。つまりは冒頭の三曲でこの演奏会の流れを暗示してしまっている訳ですね。




Y.Sさん
小森昭宏:矢車草のワルツ


 こういう第一人者が作るシンプルながら味わい深いメロディーのピアノの作品があるのはいいことですね。Y.Sさんも曲想をよくとらえて弾いていてとてもよかったです。小森昭宏と言えば、私の中では勇者ライディーンの人なのですが、人によっては「げんこつやまのたぬきさん」「いとまきのうた」の方がピンとくるかもしれません。世代は全く違えども、後の轟千尋さんの曲の幅広さに通じるものがあります。




N.M&ユング ご夫妻
ギロック:歩道のカフェテラス


 練習時間が取れなったと言いつつも、前回の演奏よりもテンポの揺れとその二人の駆け引きが絶妙で、やはり連弾と言うのは「阿吽の呼吸」だなあと益々痛感しました。ピアノで合わせなくても、普段の生活のリズムがにじみ出る演奏だったと思います。ワルツの三拍目のアクセントも非常に効果的でした。そして、阿吽の呼吸と言えば、後にTさん親子が再現してくれることになります。




H.Sさん
バイエル (Ferdinand Bayer):ピアノのおけいこ


 生演奏でこの曲を聴いたのはたぶん何十年ぶりなので、懐かしさと同時にその愛らしさについほっこりした気持ちになりました。同時に隣で聴いていた水本桂さんが「これやったなあ」としみじみしているのを見て、ある世代以上の日本のピアノ学習者にとっては血の一部みたいなものかもとも思ったりしました。習っている当時は古典派時代の人かなとなんとなく感じていたのですが、このバイエルと言う人、なんと次に続くショパンとほぼ同時代人である事を大人になってから知った時の衝撃はなかなかのものでした。




K.Sさん
ショパン (Fryderyk Franciszek Chopin):ノクターン20番 嬰ハ短調 遺作


 ということで、第1部(第1楽章)の「要」とも言える、K.Sさんの安定のショパン。感傷的過ぎず、かといって尖った解釈でもなく、ほっと一息つけるようなショパンでした。人生に絶対はないとは言え、すべてが不確定だとやはり困ってしまいます。やはり、K.Sさん的などこか安心できる「島」のような存在は必要だと改めて思いました。なお、このノクターン、バイエルの教則本が出版される20年も前に作られた作品です。ショパンがいかに当時の最先端(というか未来)であったかがわかります。

 音楽と関係ないですが、K.Sさん自作のマドレーヌはいつも絶品で、今年はあの熊クッキーも凄かったです。形を崩さずによくああいう風に焼き上げられるものだなと感嘆しました。普通に焼けば想定以上に膨らみ肥満体になるのが常だと思うので。いつも、ありがとうございます。ごちそうさま。





K.Mくん 
アメリカ民謡:雪山賛歌 (エレキギター弾き語り)


 いきなりエレキギター弾き始めたので驚きました。ユングさんが「コード2つしかない」と卑下していましたが、それを言ったら私の曲もコードは二つしかない訳で(というか雪山賛歌のコード3つ必要なような気がしないでもない)。この曲、個人的には「荒野の決闘の主題歌」か「むさくるしい大学山岳部」のイメージしかなかったので、K.Mくんの淡々とした熱唱(矛盾した言い方ですが)が物凄く新鮮でした。

 荒野の決闘の主題歌(というかアメリカ民謡)がなぜ日本で雪山賛歌になったのかと言えば、戦前の京大山岳部の人が山小屋で足止めをくらっている時に暇つぶしに山岳部らしい歌詞をつけたと言われています。第2部の最後に歌われる「都ぞ弥生」も、成立過程は多少違うものの、学生が作詞作曲したと言う事では共通で、ある集団の連帯感をたかめるために昔は歌が自然発生的に作られていた事が実感できます。




M.Kさん
久石譲:海の見える街 「魔女の宅急便」より


 毎年、久石譲ジブリ作品が登場する訳ですが、有名な曲もそうでない曲も本当にうまく作られた曲たちだなあと最近、改めて思う事が多くなりました。この「海の見える街」も何気ないメロディーなのですが、右手と左手とで密かにカノン風の呼応があったり、音型の鏡像があったりと結構凝った作りになっています。でも、そんな面倒な事を考えなくても、M.Kさんのように素直に弾くだけで楽しく音楽ができるようになっているのは、凄いです。ということで、M.Kさんの演奏、この作品の良さを改めて実感できるものでした。ありがとうございます。で、カノンと言えばパッヘルベル。で、次に続きます。






S.Iさん
パッヘルベル (Johann Pachelbel):カノン


 「音楽を聴く際に音楽以外のエピソードを頭に入れない方が先入観なしに音楽そのものに没頭できる」と私は感じる事が多いのですが、S.Iさんの「この曲を自分で弾きたい」と思うに至った合衆国時代のエピソードは、やはり今回の演奏を聴くにあたって納得の内容のように思いました。多くは語られなかったけれども、「いつかは正式な楽譜で満足のゆく演奏ができるようになりたい」という一言からも、この曲がS.Iさんの人生のかなり重要な位置を占めているように感じました。と言う事で「こういう音楽にしたい」という方向性のはっきりした未来志向の演奏だったと思います。いろいろと積み上げてゆくのにこの曲ほどそういった目標に適した作品 もないでしょう。これからどのように変わってゆくのか楽しみです。

 そして、バッソオスティナート(同じパターンで繰り返される低音部の音型)に装飾されるこの曲の構成は、曲調こそ違うものの、飛び入りのK.TくんのBlackStoneへとつながってゆきます。




K.Mさん
ハチャトゥリアン (Aram Il’itch Khachaturian):昔のお話 「少年時代の画集」より


 「昔のお話」という題名の印象と実際の音楽の印象とが少々食い違った人も多いのではと思います。原題は「Legend」で素直に訳せば「伝説」です。伝説と聞けば、何か神秘的な情景が浮かんできて、少し納得できるのではないでしょうか。K.Mさん自身のコメントもなかなか示唆に富んでいて、「いつの間にか大人になったなあ」と感慨深く思った人もいたかもしれませんが、彼女ももう十代中盤にさしかかっている訳で自分の内面を言葉にする事もできるようになっても不思議ではありません。というか、内面世界が広がるような経験を(主に学校生活で)日々様々に重ねているのかなと想像しました。そう言いう訳で、K.Mさんの演奏は去年とは全く違い、音を出す 喜びから音でイメージする段階に入っているように感じました。そして、その初々しい感性は次の飛び入り演奏者へとつながります。




*K.Tくん
クラーク (Chris Clark):Black Stone
加藤浩義:Eternity 「消滅都市」から


 Eternityの方の作曲者・出典はあくまで冒頭のコード進行からの個人的な推測です。間違っていたら申し訳なし。演奏者本人に尋ねたところ、どちらも耳コピだそうです。というか、耳コピという言い方は矮小化している気もするので「譜面に依らない彼自身による音の伝承」と言った方がいいかもしれません。K.Tくんの内面に最も寄り添った音楽が外から入って来て、それが彼の中で再構成されて、彼自身の手から再び外へ溢れ出たものと想像します。この前に演奏された「昔のお話(伝説)」と通じるものがあります。彼自身の内面と奏でられる音楽はおそらくは完全にシンクロしているので、内面のゆらぎがあると演奏自体も揺らぐのかなあと憶測しました 。彼自身から湧き出ずる感興の瞬間に音楽が生まれると言う意味で、非常にスリリングで彼の今の年齢だからこそ立ち現われてくる「絵になる」音楽でした。

 なお、どちらも定められたコード進行を繰り返してゆくという構成ですので、後のフィリップ・グラスの「オープニング」へとつながってゆく楽曲でもありました。コード進行も現代的でグラスと多少似たところがあります。




*A.Jさん
杉本竜一:BELIEVE (ピアノ伴奏・合唱)


 さらに飛び入りで合唱できる曲が入ったのが非常によかったです。さっと伴奏できる人の登場がいいですねえ。第1部を締めくくるのにも実はぴったりであるというのは、Y.O君の采配のなせる技でしょうか。卒業式シーズンや校内合唱コンクールでよく歌われる曲ではありますが「皆で歌える曲」が減っている昨今、貴重な作品です。そして、歌詞を深読みすると(あまりに妄想が激しいかもしれませんが)、後でJunちゃんがやる「ラブソングはとまらないよ」の歌詞内容にそって思いきって告白して失恋してしまって、そんな傷心な人への応援ソング(しかも、それまで意識してなかった人からの)とも解釈できます。人生、楽ありゃ苦もあるさ。







2楽章 Comodo capriccioso(気楽に気まぐれに)


I.Kさん
ショパン:前奏曲 作品28‐15 「雨だれ」


 「最初のキーを忘れる」というのは絶対音感のない人には共通の恐怖で、弾き始めて「あれ?」となって、音色で弾きこんだ作品であるほどに混乱してしまうものです。と言う話を絶対音感のある人に話したら「絶対音感があっても最初のキーを間違えればパニックになるのは同じ」と言われて、わかったようなわからないような気分になりました。熟練したピアニストにもなると、どんな曲でもすべての調に移調して咄嗟に弾けるそうで、そこまでいくと脳と指にAIを仕込んでいるとしか思えません。

 とはいえ、最初の躓きを過ぎれば、やはり時間をかけて弾きこんだI.Kさんの佇まいの演奏として落ち着いて堪能できました。やはり中間部のバスの響かせ方が独特でいいです。そして、ひっそりと消え入るような終わり方も大人な感じでした。

 さて「最初のキーを忘れる」のでなく「最初のキーの場所がずれる」と言う現象が起こりうる事を私はこの演奏会で知りました。それは後で飛び入り再登場するS.Iさんが語ることになります。




M.Kさん
久石譲:君を乗せて 「天空の城ラピュタ」から


 「とにかくピアノで表現させて」という想いが溢れた非常に素直で綺麗な演奏でした。その姿勢は本番の演奏以外の時でもずっと維持されているので、大したものだなあと思いました。予定されていた歌が諸般の事情により急遽なくなった事もあり、余計に表現欲がわき上がったのでしょうか。せっかくですから、もう一つくらい、想いを伝える音楽があった方がよかったかもしれませんね。

 なお、久石譲は実はミニマリズムの作曲家でもあります。ミニマリズムが何かは後のグラスのところで。




*NANA.Tさん
シューベルト (Franz Peter Schubert):即興曲 作品142-3


 ダブルNANAさん、急遽デュオ・リサイタルが挿入された感じで、曲の組み合わせも非常に自然な流れでした。まずはN.TさんのOp142-3。即興曲と言いつつ実質的には変奏曲な曲ですが、それこそ「即興風」の変奏の性格分けが案外と難しく、バリバリと直球で弾き続けると耳にもたれる演奏になりがちです。その辺、NANAさんは非常に巧みなバランスで各変奏のキャラを弾き分けて曲全体を構成していました。意識したのか分かりませんが、コーダのやや溜め気味のリタルダンドも次に控える演奏会用アレグロにつなげる上で効果的だと思いました。




*NANA.Kさん
グラナドス (Enrique Granados:演奏会用アレグロ 


 変ロ長調から一気に嬰ハ長調へ!この曲、挑戦する人は結構いるのですが、ここまで明晰に曇りなく弾ききるのは容易ではありません。しかも単純な超絶技巧な曲ではなく、ショパンの要素を多分に含みつつ、ドビュッシーへの橋渡し的な斬新な和声も含み、さらには民族色も入って明快さと複雑さが同居したようなモザイクタイルのような様相を持つ難曲です(反面、譜面の指示通りにちゃんと弾けば最大限の演奏効果が出るように音響設計されています)。最後の、チャイコフスキーのくるみ割り人形のピアノ編曲もまた正式名称は「演奏会用組曲」。つまりは、演奏会用アレグロと似た目的を持った曲なのです。

 ともあれ、ここで一旦休憩としてもよいくらいのダブルNANAさんの熱演でした。
 思い返してみれば、二人は、曲の内容からしても水本桂さんのフィナーレを予感させるうえで効果的かつ刺激的な飛び入り参加だったと思います。




S.Mさん
轟千尋:雨上がりの朝


 曲の性質もあるのかもしれませんが、いつも以上に癒される演奏でした。音色がより優しくなった気がします。先に登場した小森昭宏とは違った抒情性があり、かつ近代的な部分もあるいい曲ですね。ユング家のYくんが演奏会不在となった今回の演奏会、S.Mさんにはできればピアノ続けていってほしいです。というか、Yくん、マイクラばかりやってないで、どういう形でもいいので来年は演奏会に復活してください。




M.Oさん
ショパン:即興曲 作品29 →交響的練習曲と同時期
シューマン (Robert Alexander Schumann):作品68-13 愛しい5月よ  「ユーゲントアルバム」より 
シューマン(リスト編曲):献呈 


 今年はなかなかに渋い選曲でした。それぞれの曲の持ち味を落ち着いて表現していて、3部の後半へ続くロマン派の王道を明確に提示してくれたと思います。ショパンの即興曲1番は、パッセージこそ即興的に聞こえますが、ほぼ小規模なソナタ形式を見てもおかしくないくらいに構成は非常にきっちりしていて即興とは全く名ばかりの作品ですが、雰囲気に流れることなくしっかりと形式感を維持しながら弾いていました。さすがですね。シューマンの方が楽想の気ままさから「即興的」と言えるかもしれません。ユーゲントアルバムの5月はややゆったりしたテンポでシューマンの春の喜びを上手く表現していたと思います。ただし、リスト編曲の献呈となると 、いつものM.Oさんのダイナミックさが出てきて聴きごたえがありました。

 なお、演奏会当日の7月29日はなんとシューマンの命日です。「だから何」と言われそうですが、今回はシューマンの曲が三つもあって、ある種の縁を感じます。そして、ショパンの即興曲1番が作られた頃、シューマンはクララと出会い結婚への道程を歩み始めた時で、後に演奏される交響的練習曲もその頃に作られています。さらには、「献呈」はリッケルトの詩ではあるものの歌詞内容は実質的にクララへ向けたものである事は明らかで、シューマンは「ラブソングがとまらないよ」状態だったことが伺えます。さらにいうと、ユーゲントアルバムはシューマンの長女のマリー7歳の誕生日のために作られ、結果的に何人もいた子どもたちの教材となったで しょう。そして、娘の一人、三女ユーリエはブラームスから想いを寄せられる事になります。




M.O
フィリップ・グラス (Philipe Glass):オープニング
M.O:間奏曲


 今回、ほぼ18年ぶりにピアノ演奏を再開した訳ですが「昔取った杵柄」という諺が全く当てにならない事を実感しています。まあ元々「貧しい杵柄」しかなかったという話もあり、「年寄りの冷や水」のリアリティをかみしめる日々です。元々、北大ピアノクラブの頃は私が最年長者であり、北大ピアノクラブ出身者の中では今でも私が最年長者な訳ですが、「年長者がこんな体たらくでいいのか」というご批判もありましょうが「年の功」ということでご了承願いたいと思います。実際、昔に比べると「演奏の誤魔化し方」が上手くなったような気がして、年の功の実情を微かに感じているところです。

 グラスのオープニングですが、「いったいいつ曲が始まるのか」と思った人も多かったでしょう。でも、お聴きになった通り、これが延々と続く曲なのです。このように同じフレーズが繰り返し続いていく音楽様式を「ミニマリズム」と言います。そして、グラスは現代アメリカを代表するミニマリズムの体現者です(本人は、既に「私はミニマリストではない」と言っていますが)。けんとくんの弾いた「BlackStone」も実質的にはその流れに入るかと思います。そして、先に書いたように、久石譲も商業音楽以外ではミニマリズムに回帰した作品を作っています。

 間奏曲は初めて記譜した旋律に二つの分散和音(A♭majorとD#minor)をつけただけの断片です。そして、旋律がドリアンスケール(E♭‐F‐G♭‐A♭‐B♭‐C‐D♭‐E♭’)から外れなければこの二つの和音でいくらでも続けられると言う、ある種の誘眠効果の高い様式となっています。

 なお、フィリップ・グラスは合衆国の音楽学校を出た後フランスへ留学し、ナディア・ブーランジェという名教師に作曲を師事します。そして、グラスがパリに留学する数年前、それなり歳を食った男がナディア・ブーランジェの門をたたきました。アルゼンチンからやって来たその男の名前は、後に「タンゴの革新者」とも呼ばれるアストル・ピアソラです。




I.K&S.Kご夫妻
ピアソラ(山本京子編曲)(Astor Piazzolla):オブリヴィオン


 個人的に非常に好きな曲なので、お二人の演奏を楽しみにしていました。きっちりとしたミロンガのリズムと切々と歌う旋律が見事に融合し、連弾の良さが出ていて素晴らしかったです。旋律だけ単純に追うと、まるで昼メロのテーマみたいなのですが、抑制された溜めとミロンガ特有の3:3:2のリズム分割が深い味わいを醸してゆきます。

 もともとは「エンリコ4世」と言う「自分が王様であるという妄想にとりつかれた男の物語」の映画音楽なのですが、名曲すぎるのでオブリヴィオン単独で演奏される事が多いですね。オブリヴィオンは「忘却」という意味で、何を忘却しているかと言えば、映画においては「妄想男の本来の自分」ということです。妄想男本人は忘れている事に気付かないので、つまりは「周囲がその妄想男の妄想に付き合いつつ彼を憐れむ」という結構屈折したトーンの音楽なのです。そんな男も、本来の自分、原点を思い出させる「音楽」を持っていれば、救われたかもしれません。例えば、悩みも多い熱き青春時代に皆で歌った「寮歌」のようなものがあったら、どうだった でしょう。ということで、次に続きます。




S.M&ユング&*Junちゃん
赤木顕次・作曲、横山芳介・作詞 北海道大学恵迪寮歌「都ぞ弥生」


 ハーモニカ2つ、ピアノ伴奏、そして合唱。蛮カラなガナリ声で聴く事の多かったこの「都ぞ弥生」をこうも抒情的に感慨深く聴く時がくるとは全く想像していませんでした。これもまた、ユング家の縁ですね。

 ハーモニカは大音量がでない分、細やかな心情をストレートに出しやすい楽器と思うのですが、それが本当にこの歌に合っていました。さらには、当日即興とは思えないJunちゃんのピアノ伴奏もいい塩梅の節度を維持して、情緒に溺れてグダグダになりがちな寮歌をそっと引き締めておりました。

 歌詞も改めて読むと信じがたいくらいに名作です。当時の学生の素養の深さと並はずれた才能にただ感嘆です。この寮歌が作られたのは100年以上前。ドビュッシーの前奏曲第二巻が出版された頃です。日本が国際社会の中でどう伍してゆくかまだまだ未知数な時代。いずれは国の方向をかじ取りすることを期待されていた当時の青年たちが、都から未開の大地に降り立った時の想いはどのようなものだったでしょうか。残念ながら、現代の私たちにとっては、その時の彼らの「本当の心情」というものは、とうの昔に「忘却(オブリヴィオン)」されたものでしょう。しかし、こうして「音楽」としてその「彼らの想いの残渣」は保存されているのだなあとしみ じみ思いました。






3楽章 Moderato devote (程良い速さで祈りを込めて)


Y.Oくん
フランク (Cesar Franck):前奏曲 Op18 「前奏曲とフーガ、変奏曲」 


 この曲、Y.Oくんのように平常心を維持して弾く人はまずいないので、非常に心地よい響きを味わせてもらいました。曲想がいかにも雰囲気に耽溺することを誘導する種類のものなので(ワーグナー信者のフランクは結構、そう言うのが多い)、原曲のオルガンの明瞭な響きを想起させる演奏はなかなかないのです。もちろん、耽美的なピアノ演奏も悪くはないのですが、こうした高原のそよ風のような清澄な演奏もいいのです。

 なお、フランクが会長を務めていたフランスの国民音楽協会の演奏会の指揮者を務めていたのが、後に登場する「金婚式」のガブリエル・マリーです。


*Junちゃん
水野良樹(作詞作曲・北原潤郎編曲):ラブソングはとまらないよ


 会場に現れた時は「ピアノ全然弾いてないし、飛び入りなんて、、」と言っていたJunちゃんですが、都ぞ弥生の伴奏を急遽依頼された流れとして「弾きたい」気持ちが芽吹いたのでしょうか。Junちゃん単独での演奏になりました。この曲、今回の私の妄想ではBLIEVEの前日譚。気になる相手にまだ告白してない脳内完結の時期の歌です。それにしても、普段は全くピアノを弾いてない生活で、よく即興でこれだけ曲としてまとめる事ができるものだなあと改めて感心しました。同時に私のような年寄りにはこの曲の歌詞がけっこう青々しくて気恥かしいので、そういう意味でもJunちゃんの剛毅な所は未だに健在だなと思いました。




A.Oくん
ヴィヴァルディ (Antonio Lucio Vivaldi):ヴァイオリン協奏曲 イ短調 RV356


 簡易版かと思っていたら、あれよあれよという間に、ほぼ原曲通りに堂々と一楽章すべて弾いてしまってびっくりでした。これだけまとまった楽曲になると、ぼんやりとでも自分なりのドラマ作らないと曲としてまとまらない訳ですが、そういった点で聴いても非常に説得力のある生命力あふれる演奏でした。今後さらに研鑽を積んでいくとどこまでいくのか非常に楽しみです。そして、A.Oくんの演奏が楷書のような端正な演奏だとすれば、後に登場するア―ロンくんは草書体のような変幻自在なスタイルで新くんと対をなすことになります。




*S.Iさん
ウイナー (Joseph Eastburn Winner):茶色の小瓶 


 「音楽を聴く際に音楽以外のエピソードを頭に入れない方が先入観なしに音楽そのものに没頭できる」と私は感じる事が多いのですが、先の「カノン」のようにエピソードによって演奏への理解が深まる事もあります。しかし、やはり「座る位置がずれたので弾く鍵盤の位置もずれた」のエピソードがあまりに強烈すぎて、演奏を聴くにあたって「リベンジなるか!」と非常に緊張してしまいました。最初の一音の鋭角的な響きも、その緊張をさらに増強させるのに十分なインパクトがありました。が、曲が進むにつれ、音楽そのものは完全にS.Iさんの自家薬籠中なものになっているとわかってきました。お見事です。カノンの方も、いっそのことジャズバージョ ンの編曲も挑戦してみる価値があるのではないかなとも思いました。




N.T&*K.T親子
アンジェラ・アキ:手紙


 前にN.Tさんの熱唱で「手紙」聴いた時は歌詞も含めて「息子さんの事を本当に想っているんだなあ」と感動した訳ですが、今回は途中からそのK.Tくん本人が加わってサプライズでした。K.Tくんのその登場の仕方があまりに、本当にあまりに自然で、さらには曲の進行にあわせた立ち位置の変化や表情の変え方など「ミュージカルかよ!」と心の中でつっこんでしまいました。いやあ、いいものを見せてもらいました。眼福とはこのことであります。

 そして、この二人の熱唱デュオは、まさに演奏会のフィナーレを飾るチャイコフスキーのくるみ割り人形のクライマックスのパ・ド・デゥ(Pas de deux)を彷彿とさせるものでした。そして、手紙は何も母から息子ばかりのものでもありせん。例えば、ブラームスからクララ・シューマンへの音の手紙が次の曲になります。




ユングさん
ブラームス (Johannes Brahms):間奏曲 作品117-1 


 すでにユングさんのテーマ曲であると同時に、ユングさんの人生の軌跡が刻みこまれた作品となりつつあります。6年前に聴いた時、震災直後だったこともあり、音信の途絶えていたそれぞれの人生を感じました。そして、歳月が流れ、小さかった子供たちがいつのまにか声変わりし、今年もまた6年前とは違った趣のブラームスとなりました。きっと、また時間が経ってみるとまた違った境地に至り、さらなる深みを湛えた演奏になることでしょう。

 ブラームスの後期のピアノ作品は年老いたクララ・シューマンへの彼の個人的な想いを音に託したものです。これは妄想でなく、実際にブラームスは彼女に曲を送り、クララも頻繁にこの曲集を演奏し、曲についてのコメントの入ったかなりの数の書簡も残っています。つまりは、ブラームスにとっては後期のピアノ作品はクララへの音の手紙だった事は間違いありません。




M.Mさん
シューマン:交響的練習曲 作品13 より抜粋 


 「よくもまあこれだけ壮大な曲を弾くものだ」と演奏を聴く前から感嘆し、そしてその実際の演奏は実直かつ端正で、難曲である事を意識させない自然体な音楽が響きわたった素晴らしいものでした。抜粋と言え、重要な変奏はほぼ入れており、最終変奏を聴き終わった直後は、「本当によく弾き切ったなあ」と非常に充足した気持ちになりました。変奏ごとの各声部の処理などは相変わらずうまいですね。

 この曲は主題こそ昔の恋人由来でありますが、シューマンのクララへの想いが確かなものになる中で、やはり当時の天才ピアニストであるクララに弾いてもらう事を想定して極めて充足した革新的な内容(言い方を変えれば弾くのが大変)へと発展させてゆきました。この超難曲、クララだからこそ弾けたという側面もあり、まさにシューマンからクララへの挑戦状と言う事もできます。同じ変奏曲でも、シューベルトの即興曲Op132-3の変奏からすると隔絶の感がありますね。これこそまさにロマン派ど真ん中の作品です。






4楽章 Andante gran gusto (大らかな味わいで豊かにゆったりと)



水本ア―ロンくん
マリー (Jean Gabriel Marie):金婚式
クレバノフ (Herman Clebanoff):百万長者のホーダウン


 サッカー選手の子供時代の話などを聞くと、寝る時まで肌身離さずずっとサッカーボールと過ごしていて、ボールが身体の一部みたいになるような事が良く語られます。ア―ロン君の場合、それのヴァイオリン版と言う印象を受けました。ヴァイオリンがずっと側にあるかはわかりませんが、既にヴァイオリンと音楽が自分の身体の一部になっている感じです。曲がどうこう以前に、さっといつでもどういう形であっても自分の音楽を取りだせる。無論、テクニカルな障壁はまだまだあるでしょうが、彼の音楽に対する自在さはずば抜けていて、「いかようにも表現いたしますよ」と言う余裕さえ感じさせます。

 マリーの金婚式、しばしばヴァイオリンの発表会で聴かれる曲ではありますが、ア―ロンくんのような饒舌な演奏にはなかなか出合えません。さらにはクレバノフの百万長者のホーダウン、いわゆる合衆国のカントリーミュージックな訳で、かっちりと機械的に弾いても様にならない作品です。ア―ロン君、当然そこは思いきり即興性を全開にして桂さんの伴奏を振り切りつつ伸縮自在に曲を最後のオチに向けて盛り上げてゆきました。ほとんど「大草原の小さな家」の「父さんのヴァリオリン」のノリでしたね。というか、ア―ロン君、もう既に立派な音楽家の顔になっていました。

 なお、作曲者のクレバノフはギロックと生年が同じ。そして、二人とも今年が生誕百周年。さらには、二人は茶色の小瓶のウイナーとちょうど入れ替わりの世代でもあり、三人ともアメリカ合衆国の作曲家です。




水本桂さん
シューベルト:即興曲 作品90-3
ドビュッシー (Claude Achille Debussy):月の光 ベルガマスク組曲より
チャイコフスキー (Peter Ilyich Tchaikovsky) (プレトニョフ編曲):アンダンテ・マエストーソ バレエ音楽 「くるみ割り人形」より


 室内楽をより多くやるようになったせいなのか、音を凝縮させてゆくような切り詰まった桂さんの従来の演奏スタイルは徐々に影をひそめているように感じました。その変化を言葉にするのは難しいものの、あえて言うなら「音楽がダイレクトに刺さって来るのでなく、遠赤外線のように空間に広がってゆく音像の感覚」といってわかるでしょうか。何を言ってるのかわかりませんね。自分で書いててわかりません。すいません。ともあれ、以前とは変わっていると言いたい訳です。

たまたまそう言う風に感じる曲目なのかなとも思いましたが、どうもそれだけではないようです。例えば、私個人の感覚では、ピアノ音楽におけるシューベルトほど捉えどころのない作曲家はいなくて「合奏する楽器が揃わないから、ピアノに押し込めただけだろう」という作品が結構あるように感じています。即興曲Op90-3もその有力候補の一つで、終始続くアルペジオは基本、弦の持続音の代行ではないかと疑いたくもなります。実際、この曲、ピアノで平板に弾くと結構退屈します。かといってドラマチックに強弱をつけて弾けばいいっていうものでもなくて、やはり音色の重層化を丁寧にやっていかないとこの曲の本当の良さは出て来ないように思う訳です( あくまで個人の感想です)。で、今回の桂さんの演奏、本来であれば聴こえて来ないような声部がなんとなく遠くから聴こえてくるような錯覚を引き起こす、不思議な演奏でした。そういった感覚はこれまでの彼女の演奏では聴かれなかったものです。前は、もっとスパッと人の心に切りこんでくるというか、そんな感じだったのです。

 ドビュッシーの月の光についても桂さんの演奏によって「こういう曲だったのか!」と改めて視界が開けた人も多かったのではないでしょうか。単に音色が綺麗とか、完璧なテクニックで曖昧さが無いとか、そう言う事でなくてもっと違う次元でこれまで聴いた事のないような音像が幾重にも会場に満たされたと思います。以前であればもう少し明晰な部分を残してくっきりした演奏スタイルだったと思うのですが(そもそもドビュッシーを弾いてなかったと思いますが)、誤解を恐れずに言えば、今回は小編成のオーケストラが合奏しているような響きがイメージとして立ち上って来るようでした。独奏なのに独奏ではないのです。

 そして最後のチャイコフスキー=プレトニョフのくるみ割り人形。この編曲はまさに桂さんのためにあるようなものですね。この編曲、テクニックに任せてガチャガチャ弾いても駄目で、やはり辛抱強く長いブレスの歌をつなげ、全体の中の情感のピークを息切れすることなく保持する「精神的な体力」が必要な作品です。プレトニョフの編曲が良く出来ている事もあって、桂さんの演奏中のテンションくらいになると、自然とピアノからフルオーケストラの音色が空耳で聴こえてきます。

 桂さんは「皆の演奏を聴く事で新鮮な気持ちで音楽の力を吸収できる。最後にその皆の想いを自分の演奏で昇華させたい」という風な事を言っていましたが、フィナーレを飾るこのチャイコフスキーほど、桂さんのその熱い想いを体現するものはなかったのではないでしょうか。まさに演奏会の大団円。「有終の美を飾る」という言葉がこれほどぴったりくる演奏もなかったと思います。







以上、妄想、こじつけを多分に含んだ、極めて充足した今年のアフタヌーンピアノンノの感想でした。


ここまで==========================================


音楽への深い造詣と演奏者へのあたたかな眼差しにあふれた、読んでいるとやる気が出てくる、本当に素敵な所感です。本当にこれ書くの大変だったと思います。感謝しかありません。M.Oさん、ありがとうございます!!





AFTERNOON PIANONNO 2017 ご参加御礼

7月29日、アフタヌーン・ピアノンノ2017、盛況のうちに無事終わりました。今は泊まりの友達を見送り、言いようのない虚脱感に襲われております。

夢のようなひとときでした。皆様の「聞かせたい」「聴きたい」という思いが連なった素敵な織物のような演奏会になりました。

色々と縁の下でこの演奏会を支えてくださった皆様にまずは御礼申し上げます。プログラムを組み、さらに飛び入りに柔軟に対応してくださったOさんご夫妻さま、ありがとうございました。音響関連すべてまとめてくださったI.Kさん、ありがとうございました。写真を撮り続けてくれたヒデヒロくん、ありがとうございました。プロ顔負けのスイーツで皆様の心をほんわかさせてくださったK.Sさん、ありがとうございました。コーヒーメーカーを調達いただいたI.Kさん、いろいろありがとうございました。素敵な影絵の看板を作ってくださったM.Mさん、K.Mちゃん、ありがとうございました。その他、陰に日向にいろいろと全体を見て補佐してくださっていた皆様、ありがとうございました。

そしてご参加いただいた皆様、遠くから本当に遠くから来てくださった皆様、ありがとうございました。


詳細な様子は追って所感等でお伝えしたいと思います。取り急ぎ、御礼まで。



2016年8月10日水曜日

福島のM.Oさん渾身の所感!今年もこれで締めくくりです!!!

毎年素敵な所感を寄せてくださっている福島のM.Oさんが、今年も渾身の所感を送ってくださいました!!


毎年、M.Oさんらしい、独特の切り口で音楽を解析してくださる、わかりやすく、しかもウィットに富み読んで面白い文章です。今年は作曲者の年代別に並べてくださいました。


実は、M.Oさんのこの所感が、アフタヌーン・ピアノンノにとっての本当の「トリ」とも言えます。それくらい、私は楽しみにしています。


そんなわけで、いつもように、いただいた所感のうちお名前をイニシャルにして、転載させていただきます。




ここから ##################################################################################################



こんにちは。
随分間が空きました。


今年はいつも以上に、こうして皆が集まって音楽をする事の希少さ、もっと言えば「奇跡」を強く感じました。

特に小さい子供たちが懸命に鍵盤に向かい、打楽器に興じている様を見ているだけで、その音楽というよりも、その音楽ができる状況そのものに涙が出そうになる事もしばしば。歳のせいと言えばそれまでですが、まさにテロが頻発する現場に住まう桂さん、あるいはインドネシアに旅立つビデオ出演のNさん一家の事を思えば、単なる私個人の感傷ではないのかなと思います。

テロや紛争に限らず、日本の場合、大きな地震や天災もどこでいつ起きるかわからない。さらには原発に限らず近代的で複雑な巨大施設やシステムがどこで破綻するかもわからない。



そんな心持のままシン・ゴジラを見てしまったので、もうピアノンノでの感情がさらに補強されてしまった感じで、音楽それぞれについて細かな事を書くのが難しくなりました。ということで、それぞれ演奏については「印象」だけを備忘録的に記しておきたいと思います。今回は、作曲者の若い順に書いていきますね。


生まれ順に並べると、違う曲なのにやはり世代ごとの雰囲気と言うか特徴が出てきて面白いです。






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●元ちとせ(1979-)   ハミングバード
Greeeen(ほぼ1980-) キセキ

どちらも両Kさん一家の音楽を愛する本当に本当に楽しい合奏でした。毎年、子供たちの成長を見て胸の内で涙しています。
アフタヌーンピアノンノの雰囲気というかムードは、間違いなくKさん一家が作っていると思います。特に今年はそれを感じました。
なお、Greeeenは、歯医者さん4人組の音楽グループなので、eが四つです。





●クリスティン・アンダーソン&ロバート・ロペス(ほぼ1975-) Let it go
黒須克彦(1978-) 夢をかなえてドラえもん

奇しくもどちらもアニメの歌。ついでにいうと、どちらも売れっ子作曲家です。
一昨年のピアノンノに Let it goラッシュがあった訳ですが、本当に女子に愛されている楽曲なんだだなあH.Kちゃんの自分の音楽となった演奏を聴きながら思いました。
最後の大合奏の夢をかなえてドラえもんも、子供たちの自発的かつ素晴らしい即興にもうただ感無量です。





●葉加瀬太郎(1968-) 情熱大陸
ビデオによる演奏との合奏は本当によく考えたなあと思いました。確かにビデオを見ているだけだと、何か「記録映像」みたいになってしまいますからね。まあ、記録映像には違いないんですが、それぞれの想いを分かりやすく表に出そうと思ったら、ビデオと合奏と言う風になるでしょうね。そして、予習で見て、本番と言う流れもよかったです。ともあれ、映像の中であっても、Nさん一家の元気な姿を見られたので、これまた感無量なり。無論、S.Kさん&Y.Nさんの演奏も去年にルパン三世に引き続き、スリリングで素晴らしかったです。





●新井満(1946-) 千の風になって
小森昭宏(1931-2016) いとまきのうた

ユングさんの絶唱を聴けたのも今回の大きな収穫でした。それも「千の風になって」というのがいい。発声方法とかブレスの問題とかいろいろ課題はあるにせよ、この歌の持つ音楽性を最大限表現していたと思います。歌というのは、上手くなると、上手く歌う事に主眼が置かれるようになって、自己陶酔な音楽になる危険性を常に はらんでいるのですが、今現在のユングさんの場合、とにかくこう歌いたいというのが前面に出ていてよかったです。

小森昭宏さんは、新井さんと同年代 と言う訳でもないですが、戦前と戦後でこうも作風が違うと言う事を「いとまきのうた」を聴くと痛感します。作曲者が違えば当然だろうと思うかもしれませんが、やはり生まれ育った空気と言うのは、生涯ついて離れないものなのですよ。そして、小森さんは今年の6月に亡くなっております。こういう曲をY.Kちゃんが弾くというその事実だけで、私にとっては充分です。作曲者はいなくなっても、作品はこうして子供にひきつがれてゆく。





●シャーマン兄弟(1925-2002) チム・チム・チェリー
エンリコ・モリコーネ(1928-)ニューシネマ・パラダイス

チム・チム・チェリーは言うまでもなく、アニメでないディズニー映画「メリー・ポピンズ」の中の煙突掃除の楽曲。とにかく子供が弾いて歌ってこそ光る音楽というのがあって、この曲はまさにそれ。ということを今回も痛感しました。どのような経緯があるにせよ、この歳でこの曲を人前で弾いたと言う事自体が、M.Gちゃんにとっての財産になると私は思います。

ニューシネマ・パラダイス、いいですよね。映画も音楽も。モリコーネさん、やはりシャーマン兄弟と同年代なんですよ。この世代の作曲家って、本当にメロディーメーカーが多くて(「ある愛の詩」のフランシス・レイ、「スター・ウオーズ」のジョン・ウイリアムズなど)、ぼんやりとタダ弾いていても様になる事が多いのです。しかし、さすがユングさん、メロディーによりかかることなく、素直にこう表現したいと言う事をきっちりやり通していて、本当に気持ちよく聴く事ができました。





●ウイリアム・ギロック(1917-1993) サラバンド、女王様のメヌエット
平井康三郎(1910-2002) 幻想曲「さくらさくら」

どちらも音楽教育に多大な足跡を残した人です。音楽が一部の特権階級でなくあらゆる人々が享受すべきという二十世紀前半の潮流をギロックはアメリカ合衆国で、平井は日本で体現した人ということなります。ということで、ピアノ学習者には馴染みのあるものが多いのですが、バイエルやブルグミュラーよりは近代的 でバルトークほどは前衛的でない作品群が今も生き残っています。Y.Mくんのサラバンド、音楽と言うより「自分の音」を出すことに傾注していて本当に美しい響きでした。しかし、これだけ繊細な音を出せてしまう彼はこれからどこに向かうのでしょうか。K.Mくんは、やる気があるのかないのか今年もよくわかりませ んでしたが、ユング家で過ごしている以上、音のセンスは着実に伝染している事がよくわかる演奏でした。

C.G君の幻想曲「さくらさくら」は、彼自身 が原点というだけあって、湿っぽい無駄な貯めもなく、非常にダイナミックレンジの広いスケールの大きい演奏でした。全音ピアノピースの一つなのですが、お手本演奏とか、まず駄目なのが多いので、真っ当な音楽的な演奏で聴いたのは今回が初めてで、なかなかよくできた曲だなあと再認識しました。





●リチャード・ロジャース(1902-1979) ドレミの歌
Sさん家とKさん家、両方で選曲された曲ですが、やはりそれぞれの演奏にカラ―が出てきて面白いですね。この曲は、シンプルに一人で弾いてもよし、大人数でポリフォニックに合奏してもよしの非常に優れた楽曲なのですが、今回は両方の面が聴けて楽しかったです。なお、作曲者のロジャースは、ハチャトリアンとほぼ同世代。と聞くとやはり何とはなしに納得してしまうのでした。





●エリック・サティ(1866-1925) ヴェクサシオン
クロード・ドビュッシー(1862-1918) 夢  前奏曲から「カノープ(の壺)」

サティは、たぶん西洋音楽史上初めて「音楽とは何か」と根源的に考えた人でしょう。今日では、ジムノペディとおまえが欲しいが有名になりすぎたので、そういう前衛的な部分は感じる事は少ないでしょうが、Y.O君は、まさにサティの前衛的部分をクローズアップして実演してくれました。ヴェクサシオンは、単純に同じフレーズを繰り返すだけでもいいのです。ミニマル音楽の開祖と言うべき作品なのですが、そこであえて変化を取り入れるために様々な試みを行いました。見ている人は当惑の方が大きかったかもしれませんが、ピアノと言う楽器が普段見慣れたものから、違う音響体に見えてきませんでしたか?そうであれば、Y.O君の試みもやった甲斐があるというものです(ま、そこは当人がどう考えていたかによりますが)。そして、スムーズに同時代の革新者であるドドビュッシーに移行してゆくのはさすがの演出です。カノープの壺の意味を知れば、なおさら洒落ていますね。

一方、N.Mさんの「夢」は、乙女のドビュッシーでした。ドビュッシーとしても、まだ革新者ではない頃の作品です。意外と、リズムの難しい曲で、響きを制御するのも大変かと思うのですが、ほんわかとシフォンケーキのようにまとめていただきました。御馳走さまです。





●ヨハネス・ブラームス(1833-1897) 創作主題による変奏曲
ヘンリ・クレイ・ワーク(1832-1884) 大きな古時計

ブラームスのこの変奏曲、人生を達観したような回想モードの曲のように聴こえますが、実はブラームスがまだ24歳の頃の恋多き時期の作品です。要するに、元々、こういう奴と言う事です。多くの演奏家は、まろやか上質なワインのようにこの曲を演奏するのですが、さすがにM.Mさん、この曲がたった今できたような生々しい刺さる演奏でした。各々の変奏の繰り返しを省いた事も、この曲の秘めた前進性が出していたと思います。桂さんが弾けば、極めてアグレッシブにたぶん別の方向へスッ飛んでしまうと予想されますが、やはりM.Mさんならでは重厚な演奏が聴けて嬉しかったです。

一方の大きな古時計ですが、フォスターと同世代のアメリカの作曲家ワークの作品です。アメリカはまだまだ音楽的には後進国で複雑な交響曲などを作曲できる人はまだまだ少数でした。よって、民謡を参考した歌曲中心の作曲家の天下だった訳ですが、その中でもこの「大きな古時計」は空前の大ヒット作だったようです。それは今でも続く訳ですから凄いですね。そして、この単純なメロディーには、やはりブラームスと同じ時代と言われて納得できる「空気」がありますね。でも、そんな事を考えなくても、Y.Kちゃんの訥々と鍵盤に向かって出てくる音に耳を傾けるだけで充分です。





●フレデリック・ショパン(1810-1849) ワルツ Op18、64-2、69-1  前奏曲   Op28-15
ヨハン・ブルグミュラー(1806-1874) 素直な心、優しく美しく

ショパンについてはいまさらあれこれ言うこともないのですが、ともあれ、楽譜通りに弾けば誰が弾いてもショパンになり、しかもその人それぞれの個性も出ると言う、ある意味、魔法使いのような作曲家です。K.Sさんの弾くワルツ、曲の特性もあるのでしょうけど、「おもてなしのショパン」と言う感じでしたね。誰かのためを思って丁寧にこしらえてくれた感じです。一方、E.Uさんのワルツ2曲は「普段着のショパン」といった感じでした。まあ、これもそういう曲でもあったのですが、小さなサロンで親密な人々が集う中で自然発生的に弾かれているような、そんな感じの演奏でした。実際、ショパンは本来、何百人も入る様な大ホールで聴くような作曲家ではないんですよね。まあ、楽器の発達のおかげで、大音量が出るようになり、今では普通に巨大なホールで演奏されていますが、ふと、そんな事を思い出させてくれました。そして、I.Kさんの前奏曲は「渾身のショパン」。良いと思った曲をとにかく全力で弾くという想いがしっかり伝わってきて、大変初々しかったです。ショパンというのは、同時代の作曲家の中では相当に和声が複雑で、いくらスローテンポでも慣れないと譜読みするのも難儀するものですが、I.Kさん、時間が限られるなか、かなり頑張ったのではないかと推察します。お疲れさまでした。

で、ほぼ同時代の人としてブルグミュラー。子供向けの作品と言えども、ショパンに比べたらこの和声の平明さを実感できるでしょう。まあ、ショパンと同時代の人といっても、意識はベートーベンから抜けられなかった人と言えるでしょうか。と言うか、ショパンが特異的過ぎるだけなんですが。ユング家の突然変異、S.Mちゃんのまっすぐな演奏は、文字通り「素直な心」そのままで、足早になることも、立ち止まる事もほぼなく、中庸な音とテンポですっきりと弾いてくれました。H.Kちゃんの「優しく美しく」もまた、訥々とした語り口でしみじにとしてしまいました。どちらの曲も腕に覚えがあるようになると、サラサラと無音楽に弾きとばされる運命にある曲なのですが、そうはなっていない二人に乾杯です。





●ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827) ピアノソナタ Op81a 「告別」
大曲です。そして、ベートーヴェンの作品の中では標題音楽として作曲者自身が記した数少ない例です。標題音楽でありながら、絶対音楽的に非常に密に構成されており同時に、非常にわかりやすい物語性もあり、全曲弾いてもらって正解でした。一楽章だけだとドラマの予告編で終わりだし、終楽章だけだと「なんでそうなった?」という話だし、二楽章だけだと何の話かさっぱりわからないでしょう。一楽章「告別」、二楽章「不在」、終楽章「再会」と言う流れでとらえないと、やはりこの曲は収まりが付きません。

と言うのは簡単で、主題をからめて全楽章あれこれ考え始めると頭がパンクする曲なので、M.Oさん、忙しい中練習して、かつ本番でも本当によく弾き切ったなあというのが一番の感想です。いや、ホントに凄いわ。お疲れさまでした。





●ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750) ガボット(管弦楽組曲3番 BWV1068から)
一応、補足しておくと、去年に弾いたガボットとは違います。今年は大バッハの本格的な曲の編曲。去年は、フランスのオペラ作曲家のアンプロワーズ・トマのガボットです。ともあれ、たったの一年間でのA.Oくんの圧倒的な進歩に驚きました。去年までは「楽器に弾かされている」感がありましたが、今年は「楽器を弾いている」感じになりましたね。ということで、それなりに構成の複雑なバッハのガボットもある程度自在に音楽的に弾きこなしていたのが凄いです。この先は、ヴァイオリンをどういった音楽の「道具」にしてゆくかによってやることは変わって来るでしょう。本格的に正統派の演奏家になるのであれば、つまらなくてももっと「型」と「音色」をきちんと定めていかないと、新たな音楽的課題に立ち向かう時にいずれ限界に突き当たります。そう言う事は抜きにして、ある程度楽しく音楽が出来れば良いというのなら、「型」は気にせずにいろいろな場で武者修行をしてください。センスがあるだけに、いろいろと誘惑もあり、なかなか難しい選択ですけど、どんな形であれ音楽は続けていってほしいですね。




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と言う事で簡単ですが、こんな感じで今年もあれこれ書いてしまいました。
とにかくこの集まりがある事が「平和」であり「平穏」であるということです。
今年はなぜか特にその事を痛感しました。



ところで、シン・ゴジラ、近年まれにみる傑作なので、是非、映画館でやっているうちにご覧ください。
特に、理系に興味のある方は是非とも!下手すると生涯にわたって影響を受ける映画になるかも。
誰が見ても色々な視点が持てる多面的な作品です。二時間あっというまですよ。




では。





ここまで ##################################################################################################






M.Oさんは、この演奏のDVDを観ているわけではありません。録音もしていません。純粋にその場で聴いた印象を深く刻んで反芻して、これだけのものを書かれています。M.Oさんの所感には、聴こえてくる音楽のその奥底にある真理のようなものに触れて、それを平易な言葉で解説してくださっているので、読んでいて「ああ、そうだったのか」と奏者自身が気づかされます。これを書けるのはやっぱりM.Oさんしかいません。毎年遠くからお越しいただいて、こんなプレゼントをくださるM.Oさん、本当にありがとうございます。



というわけで、ゴジラ観に行こうかな!!