今年もまた、M.Oさんが素敵な所感を寄せてくださいました。いつも全方位から曲を奏者をそしてその心までも見通す文章を書いてくださいます。が、今回は1曲1曲ごとの解像度がさらに増したような印象をユングは受けました。というわけで、いつものように、奏者はイニシャル、作曲者は実名にて掲載させていただきます。
ここから ―――――――――――――――――
★★★★★ 第一部 ★★★★★
● T.Fさん
バッハ パルティータ 2番 ハ短調 BWV826 シンフォニア
今回の演奏会の冒頭を飾るにふさわしい曲ながら、ある意味、ごまかしのきかないこの曲を冒頭に弾くのは非常に緊張を強いられるとは思うのですが、その重圧を押しのけて、まさに舞曲としての「パルティータ」な感じで弾き始まって、振り返ってみれば今回の演奏会の雰囲気を決定づけた演奏だったと思います。かなり久々にT.Fさんの演奏を聴いたのですが、学生時代のやや硬い一直線な演奏の雰囲気からすると随分と柔軟さ・自在さが備わった感じで、リズムも臨機応変に変化させて、ハ短調の曲に言うのもなんですが、とても楽しい演奏でした。
● M.Oくん
ドビュッシー 夢
ベートーヴェン ピアノソナタ ハ短調 Op.16 悲愴 1楽章
最初の一音から一気に引き込まれました。ドビュッシーは音色が重要とはよく言われますが、それは結果論で、個人的にはピアノという楽器の音響設計を無意識に模索し続けた作曲家だと思っています。そして、今回の演奏は、一つの音がどうであれば理想なのかを探求した軌跡を感じられました。この演奏が可能になるにはやはり自分の音を正しく聴く良い耳がなければいけないので、その点でも独自の感覚を持っているなあと思いました。
続くベートーヴェンでは打って変わってどっしりとした構成感あふれる堅実な演奏で、えてして弾き飛ばされがちな部分もしっかりフォローして決して上滑りにならない、それぞれの主題のキャラクター付けも明確な魅力的な演奏でした。
● N.Tさん
リスト 愛の夢 第三番
最初から最後まで「歌心」がたっぷり詰まった演奏でした。定石のフレージングで形式的に歌わせるというのでなく、自然と湧き上がる自分の歌をそのままこの曲を通して奏でていて、スッと聴く人の中に入ってゆくような感覚でした。有名な曲ではあり、様々な演奏がありますが、奇をてらった所は一切なく標準的な演奏ではあるのに、それでも「歌」が中心にあって聴く人にその歌が届く、とても落ち着く演奏だったと思います。
● T.Sくん
ヴュータン 無伴奏ヴィオラのための奇想曲Op.55
まず弦楽器の演奏会で滅多に聴くことのできないこの曲を生で聴くことができた事に深く感謝したいと思います。しかも、ガット弦で。そして、前回の演奏からすると恐るべき成長と成熟をとげた演奏で、それもまたびっくりでした。この曲は「パガニーニへのオマージュ」という副題があるように、極めて技巧的な部分もありますが、その部分もとにかく弾ききっている事に圧倒されました。無論、技巧的な部分のみならず冒頭のヴィオラの語りも陰影があって非常に味わい深かったです。無伴奏ヴィオラといえばレーガーやヒンデミットの作品もありますが、これもレパートリーに入れつつあるのでしょうか。期待が高まります。
● A.Oくん・M.Oさん
フランク ヴァイオリンソナタ FWV.8 4楽章
A.O君がバッハのメヌエットなどを弾いていた12年前からすると、これだけの大曲を弾くようになったのだなあと言う感慨が出てしまうのはやはり避けられません。本人からすれば「時間をかけて修練してきたのだから、これくらいは弾けて当然」という感じなのでしょうが、それにしてもピアノソナタで例えればベートーヴェンの熱情レベルに音楽的にも技巧的にも難度の高い作品をこれだけ堂々と演奏できること自体、本当に素晴らしい事です。そして、今回の演奏を通して、この作品がやはり大傑作である事を再認識しました(今更ですけど)。この作品、正式名称は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」なんです。文字通り、ヴァイオリンとピアノ、どちらも主役なタイプの作品。ということでM.Oさんの熱演(決して伴奏ではない!)も圧倒的でした。そして、その母の気迫に負けないA.Oくんもやはり凄い。今回は、カノン楽章&フランクの作風もあって、母と子の相克という感じもあり、やはり傍から観ている立場だと手に汗握るという側面も大きかったです。まあ、どちらが勝つとかではないですが、いよいよA.Oくんが親離れするのかなとも微かに感じたのも事実です(これは私の勝手な憶測です)。
★★★★★ 第二部 ★★★★★
● M.Iさん・M.Iさん
メンケン A whole new world
実はディズニーのアラジン観た事なくて、この曲は知ってはいるのですが、どういう場面で流れるのかよく知らないのです。曲想からしておそらくは絨毯に同乗する感じのシーンかなと勝手に想像するのですが、あくまで音楽として聴いた時の感想を。O家の母と子の相克対決の後なせいか、仲睦まじい姉妹のような2人の演奏を聴くとほっこりしました。しかも、子の方が親ののびやかな歌をしっかり支えている感じで、そういう意味での「暖かさ」を感じました。
● S.Kさん・N.Mさん
ハチャトリアン 仮面舞踏会 ワルツ
いつもオケ版で聴いている曲なので、連弾のパンチのある演奏はかなり新鮮に感じました。そして、オケ版では聴き取りにくい内声部もくっきりと聴こえてきて、個人的には発見も多かったです。二人の連弾は曖昧さがなく、かつセコセコした所もなくどっしりとした感じを通していて、オケ版を彷彿とされる重量感もありました。
ハチャトリアンはこの曲の着想がなかなか固まらずに苦労したそうですが、肖像画のモデルをしている時に第二主題がいきなり閃いて、そこからは残りの曲も一気に仕上がったらしいです。悩んだ末の結果なのか、ハチャトリアンらしさはあまり感じない作品ではありますが、今は「仮面舞踏会といえばハチャトリアンのワルツ」くらいには人々を惹きつけてやまない作品となり、やはりずっと聴いていても全く飽きない魅力ある作品であることをお二人の演奏で再認識できました。
● S.Kさん・A.Kさん・A.Kさん
ミマス 地球星歌 ~笑顔のために~
昔の写真を見せていただき「え、もうそんなに前の話?」と感慨にふけっていたら、いきなり二人合唱の豊饒な歌声が会場に充填されて圧倒されました。ピアノ伴奏と二人の歌声によって質感のある綿雲に全身を包まれたような心地となり、まさに地球星歌。その十分な声量からして「マイク必要ないのでは?」と思いましたが、ピアノ伴奏とのバランスを考えての選択だったのですかね。ともあれ、家族3人で合奏できた今回もきっと後から振り返れば輝かしくも温かい思い出になる事と思います。
● I.Kさん・S.Kさん、N.Mさん・A.Mさん
ビリー・ジョエル PIANOMAN
「街角ピアノ」のニューヨーク回のPIANOMANを演奏した女性、私も観ていました。街角ピアノと言いつつ、他楽器との共演あり、歌あり、即興のセッションありと、あの番組はこのアフタヌーンピアノンノの雰囲気に近いものがあります。そして、あの演奏にインスピレーションを得てここで再現しようという意気込みがやはり素晴らしいなと思いました。元の発声域は確かに無理がある訳ですが、それでも一点集中の情熱で解決し、伝えたい音楽を実現できたのはやはり昔から変わらないA.Mさんだなあと思いました。そして、曲想をしっかりリードするピアノ伴奏、即興性あふれるハーモニカ、堅実に歌を支えるベースもやはりとても良かったです。仮装はウケ狙いの面もありますが、やはり「その人に成り切る」のも大事かもしれないとも思いました。
話が飛びますが、ビリー・ジョエルといえば「This Night」で悲愴二楽章をじっくりと歌い上げた事でも有名ですが、今回、悲愴ソナタの1楽章、そして悲愴ソナタの2楽章のテーマが隠れているニムロッドがたまたまプログラムに入っているのは、なかなか趣深いですね。そして、続く「バッソ・オスティナート 時の輪」のヒントになったフィリップ・グラスという作曲家の若い頃の顔が昔のビリー・ジョエルにちょっと似ているのです。だから何という話ですが、「縁は異なもの、乙なもの」ということです。
● M.O
大平万里 バッソ・オスティナート 「時の輪」
バッソ・オスティナートは日本語では「執拗低音(しつようていおん)」と言います。低音部で同じ音型が執拗に繰り返されてゆくということです。通常はその低音の繰り返しに旋律を乗せて変奏などをしてゆくのですが、この曲では、挿入句を挟みつつ、ほぼ変わらない三連符がずっと続きます。いつまでも曲が始まった感じがしないので、一種のBGMあるいはゲーム音楽のように聴こえたかもしれません。フィリップ・グラスなどに代表されるいわゆるミニマル音楽の一種とも言えます。中間部は四分音符でラシドレミ(又はミレドシラ)の音型を繰り返していますが、四分の四拍子なので1小節には4つしか音は入りません。つまり、同じ音型ながら、小節ごとにラシドレだったりドレミラだったりと違った旋律のように聴こえます。
なおタイトルの「時の輪」には深い意味はありませんが、なんとなく「時」をタイトルに入れたかったのです。余談ながら「時の鐘」だと小江戸・川越に、「時の回廊」だとRPGのクロノトリガーに、「時の砂」だとRPGのドラゴンクエストⅣになるので避けました。
● M.Oさん
ラフマニノフ 前奏曲 Op.23-4ニ長調、Op.23-5ト短調
ラフマニノフと言う作曲家、個人的にはショパンとリストを融合させて民俗性と望郷の念を加味したような存在と思っています。その四つの要素すべてがてんこ盛りの大曲もありますが、Op.23-4はショパン的要素の濃い作品の一つでしょう。実質、夜想曲とも言えますが、ショパンの要素の他にやはり望郷の念が中間部で激しく吐露されます。全体を夢想的でロマンティックな感じで通さずに、その中間部の感情の起伏を十分にたっぷり盛り上げて、異国の地での故郷の回想という感じが出ていてよかったです。続くOp23-5はやはりリスト的&民俗的要素が濃厚な作品でしょう。なかなかに演奏至難な所がありますが、リスト的なマーチ部分はしっかりピアノを鳴らして、中間部のロシアの歌の部分は存分に歌わせて、ラフマニノフの巨大さと民俗性を全面的に出せていたと思います。意図してかどうかはわかりませんが、ラフマニノフの二つの対照的な側面を伝える2曲を選んだのは効果的だったと思います。
● K.Oくん
エルガー エニグマ変奏曲 第9変奏「ニムロッド」、第11変奏「G.R.S」
「年齢の割に渋い選曲だなあ」と書いたら失礼になるかもしれませんが、実際、エルガーのこの曲を弾く小学生は観た事ないので、習っている先生の意向かなと思ったら、どうもそうらしいと聞いて、ある程度は納得。とはいえ、やはり勧められても小学生が好んで弾く曲ではないだろう事は変わらず、どんな演奏をしてくれるのかワクワクして待っていました。演奏が始まった途端、「これは本物だ…」とすぐ実感できました。最初の(悲愴ソナタ2楽章の主題が隠れている)ニムロッドは有名な曲ではあるものの、ブラームスの間奏曲と同じように、やはりある程度の人生経験を経てからこの曲の滋味がわかってくるのではと思います。しかし、なぜか既に演奏に風格と情緒がありました。物理的時間の人生経験はまだ少ないのかもしれませんが、古い朋友と晩年に語らうような仮想の人生が内面に幾重にも展開しているのかもしれず、その情景を想像しながら演奏したのかもしれません。一方のG.R.Sはかなり具体的な描写音楽(友人のブルドッグが川に入ってはしゃいでいる様子)ではあり、単にパッセージ音楽にせずに、情景を的確にとらえた堅実な演奏でした。これもまた素晴らしかったです。
● M.Mさん
ショパン バラード4番 Op.58
一言で表すなら「説得力のある見通しの良い演奏」でした。これまでは全体をぐいとまとめてつかみ取る感じの演奏スタイルが多かった気がするのですが、今回はペダリングによるニュアンスの遷移や各パラフレーズのバランスなどを駆使して一つのテーマを曲全体で構築しようとしているのが手に取るようにわかりました。あとから本人に聞いた話では、具体的な物語をイメージして演奏していたようで、納得です。まさに文字通りの「譚詩曲(バラード)」として演奏したのですね。
そして、第三部のM.Iさんがプレゼンテーションする「物語の補助線のある音楽」という発想がここで密かに立ち上がっていた訳ですね。
★★★★★ 第三部 ★★★★★
● M.Iさん
ショパン 練習曲 Op.10-1「滝」、10-3「別れの曲」、10-4、10-7「雪上の狩り」
ラヴェル 夜のガスパール オンディーヌ
<アンコール>
ラヴェル 鏡 海原の小舟
ショパン 練習曲 Op.10-5「黒鍵」
プログラム全体のバランスを考えて、急遽数曲追加されての第三部。「著名な演奏家のキャンセルで急遽代役に抜擢されて全く触れた事のない協奏曲を三日で仕上げた」とかいうピアニストの話を伝え聴いたりするので、プロというのは凄まじいものだなと思う訳ですが、今回もその片鱗を実感させる演奏の数々でした。
予定より二曲追加されたショパンの練習曲から始まりましたが、磨かれた音の粒が全方向に放出され続け、打鍵の豪雨を間近で浴び、練習曲としてのアイデンティティを感じるような演奏と思いました。もしかすると、献呈されたリストはこんな感じの演奏だったのかもしれないなとも思いました(ショパンはリストとは使う楽器も違うし、大ホールでの演奏もあまり好まなかったようですし、ショパン自身は現在のピアニストが弾くようには弾いてなかったのだろうなあと勝手に想像しています。まあ、それはそれです)。
夜のガスパールのオンディーヌ。演奏前の解説、非常に良かったと思います。何も知らなくても十分に堪能できる音楽ではありますが、やはりそこに予め音の意味の補助線をひいてもらえると、より多くの人にこの作品の素晴らしさ・凄さが伝わるでしょう。演奏も微細で霧のように消えてしまいそうな微音からあらゆる獣が怯む地響きとも思える轟音までその見事なダイナミックな音響に支えられて、聴く人にダイレクトに「音の物語」を伝えられたのではと感じました。つまりは「超絶技巧すげー」では終わらない豊かな音楽体験がそこにあったと思います。
アンコールの「海原の小舟」は「ラヴェルは浮世絵からインスピレーションを受けたのですよ」で済ませずに葛飾北斎の富嶽三十六景・神奈川沖浪裏の船の状況、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」というような人類の共通する行動様式についての解釈まで加えたことで、誰しも思い当たる知識・経験と関連させて音楽を聴く事が出来るように誘導したのは実に見事だなあと思いました。これを即興で語ったとはとても思えません。オンディーヌと比べると唐突に始まり、先の見通しがわかりにくい作品ではあるので、浮世絵の小舟あのイメージ、そして人によっては漱石の草枕との連想を抱いたうえで聴いてもらえると、まさに演奏によって、説明された状況が流麗に活写される様を実感できたことでしょう。
そして、最後の〆は黒鍵の練習曲。ラヴェルの東洋的な要素のある曲を聴いて、そういう耳になっているところに五音音階のこの練習曲が来ると何か戻る所に戻った感じを受けるのは不思議です。これまた巧妙な選曲だなと思いました。
*全くどうでもいいことですが、ネットであれこれ調べたら、振袖レンタルのブランドにオンディーヌというのがあるらしく、どういう意図でそのブランド名にしたのか気になります。振袖レンタルは「みずもの」ということですかね?
追伸:
アンコールで弾く作品に少々悩んでおられましたが、オンディーヌの後にラヴェルのラ・ヴァルスが続いたらなかなかカッコいいのではと勝手に妄想してしまいしました。この曲はラヴェルの前口上が残されていて、そのイメージの解説をした上で演奏する訳です。
参考までにラヴェルの前口上はこんな感じ
「渦巻く雲の中から、ワルツを踊る男女がかすかに浮かび上がって来よう。雲が次第に晴れ上がる。と、A部において、渦巻く群集で埋め尽くされたダンス会場が現れ、その光景が少しずつ描かれていく。B部のフォルティッシモでシャンデリアの光がさんざめく。1855年ごろのオーストリア宮廷が舞台である」
水のテーマからは離れますが、仮面舞踏会のワルツおよび実質ワルツのPIANOMANの延長としてラ・ヴァルスで徐々にワルツの規模が拡大膨張そして崩壊してゆく様は演奏会を締めくくるのにはいいのではと思いました。
そして、ラ・ヴァルスで大いに盛り上がって幕を閉じても良いとは思うのですが、アンコールが鳴りやまない状況であれば、同じくラヴェルの「ボロディン風に」を持ってくるのもアリかなと思いました。ワルツ繋がりではあるけど、ウィーンから中央アジアの草原に舞台を移し、すこし雰囲気の違う3拍子のこの小品をさりげなく弾いて、東洋的調べの余韻を残しつつ静かに終わるのもいいなあと空想しました(あくまで個人的な好みでしかないですが)。
――――――――――――――――
ここまで。
ちなみにユングは今回のAFTERNOON PIANONNO、奏者平均年齢が高くなってくるとやはり時の流れを感じるなあという漠然とした感想を持っておりましたが、この所感を受け取って読ませていただき、このM.Oさんの所感についても同じように時が過ぎてきたのだなあと、しみじみとその時をかみしめております。
M.Oさんの所感を読ませていただいて毎年思っているのですが、年長者とはいえその年齢だけではとても説明しきれない、音楽の背景への深い知識と洞察、そして生の演奏から奏者の心を汲み取る感覚の鋭さ、さらにそこに必ず曲と奏者への愛が満ちているこの所感は、それを読むプレーヤにとっては本当に嬉しい宝物、エールだと思います。いつもありがとうございます。ただただ、感謝あるのみです。