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「AFTERNOON PIANONNO(アフタヌーン・ピアノンノ)」は、平成4年の北大ピアノクラブ創設当初所属していた部員のうち、一部のOB/OG仲良しメンバーが集まって2010年からやり始めた、小さなサロンコンサートです。茨城で知り合った音楽を愛する仲間さんたちと一緒に年に1度集まり、なるたけお金をかけずに気軽に音楽を楽しもうという、ただそれだけを思って始めた、ささやかな集まりです。 ぼちぼち、ゆる~く、続けていこうと思っております。よろづ帳はこちら! ブログへのご意見・ご要望はこちらまで。

2013年8月19日月曜日

福島のOさんによる演奏所感!!!ありがとうございます!!!

アフタヌーン・ピアノンノ2013、無事に終わりました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!!


福島から毎年足を運んでくださっているピアノクラブOBのOさんが、今年は全奏者の所感を書いてくださいました!!

ピアノクラブ時代も、よくみんなの演奏についてよろづ帳に書いてくださっていたのを思い出します。

掲載許可をいただきましたので、名前をイニシャルにして掲載させていただきます。










~ここから~


<K.Tさん>― いきなり個人的な話になりますが私、最近実はギターの音楽ばかり聴いています。今の勤務校にギターマンドリン部というものがあり、結構間近で聴く機会があり、なんか落ち着くんですね。という訳で、ギターが聴けるというだけで嬉しい状況です。特に今回は超有名曲をしかも忌野版で熱唱していただき感謝感激です。



<Y.Tさん>―今回はパーカッションのみの参加でしたが、すごく端正な姿勢でピアノに向かっている様は絵になっていました(というか、どんな場面でも彼女の立居振舞には典雅さを感じるのですが)。Y.Tさんピアノ伴奏、K.Tさんギター弾き語りなんて来年やってくれないでしょうか?



<S.Tちゃん>―ギロック流行っているんですかね?と言いかけて、ピアノ学習者の定番である事を思い出しつつ、その年齢ごとの「物語」で弾いている様がよく伝わってきました。子供なりに子供の物語がつむげる曲って大事だなと思う今日この頃。



<H.Nさん>―H.Nさんといえば、私にとっては2年前のウクレレです。今はギター関係の音楽が好きなので、今回のウクレレも本当に落ち着きます。Starmanとウクレレって普通は結びつかないと思うんですが、独自の世界を作っていてすごいなあといつも感心します。できればいつかSting のfragileをやってほしいなあ、ウクレレで。



<Y.Nさん>―何の濁りもない無色透明って感じのドビュッシーのアラベスクでした。アラベスクって要は「幾何学的な模様」ですから、こういう透明感のある演奏に接するとすがすがしい気持ちになります。



<T.Nくん>―彼の演奏の時だけ小学低学年女子が取り巻いていたのが妙に気になったのですが、それだけ何か惹きつけるものがあるんでしょうね。超絶技巧体育会系ピアノじゃなくて、クールな内省的なピアノ弾きの男子に育ってほしいです。最終的にはそっちの方がモテます。



<I.Kさん>―「大人のピアノ」というとやはり二種類意味があって、一つは「酸いも甘いを知り尽くしたいぶし銀のような魅力のあるピアノ」、そしてもう一つは「大人からピアノを始めて技能と情熱とのアンバランスに格闘するピアノ」。だから、この編曲版「愛の夢」は非常に良い選択だったと思います。原曲であれば、なかなか大変で、弾くので手一杯で、伝えたいことも伝えられないのでは、大人からピアノを弾く意味がない。でも、この編曲なら、I.Kさんの歌いたいところも余裕をもって表現できたのではないでしょうか。



<S.Kさん、M.Kちゃん>―「犬ふんじゃった」の題名を聞いた時から「たぶんこういう曲だろうなあと予想していたのですが、想像以上にうまく作ってあって感心しました。「猫のお巡りさん」だと大昔に流行って、今だったら動物虐待にしかみえない「なめ猫」を連想させるのでダメなんじゃないでしょうか。こういう音楽遊びもとても大切だと思います。



<K.Sさん>―ベートーヴェンのソナタ作品27-2「月光」、頑張りましたねえ。普通、ああいう風に止まったらなかなか元には戻れないものですが、根性あります。偉そうに助言するなら、譜読みの段階で和声進行をきっちり把握しておき、練習の時でも弾きながらいつもその和声の流れを意識しておくと良いと思います。和声(コード)さえ間違ってなければ、あとは即興でもどうにかなります。そういう意味でハンガリー舞曲は、分担が決まっているので弾きやすかったと思います。ともあれ、努力の人ですね。



<H.Sちゃん>―浜辺の歌。こういうメロディが歌い継がれるというのも大事だなあと思います。小さいころはなんとなく弾いただけの曲こそ、実は大人になった時に強烈に思い出されるものなのです。そういう意味で、こういう場所で「弾いた」というのは彼女の財産になるでしょう。DVDにも残る訳ですし、「聴いた事がある」のと「弾いた事がある」のとでは雲泥の差です。



<Y.Sちゃん>―グルリット、まるで冗談のような名の音楽家ですが、ピアノ学習者には馴染がある人でしょう。でも、どれだけ作品があって、ピアノ学習者以外の演奏はあるのかとなると本当に限られたチャンスしかないというのが現状でしょう。私も今回の曲、初めて聴きました。初心者でもやはり自分で表現できる曲がたくさん用意されているというのはいいことだと改めて思いました。



<H.Sちゃん>―今、演劇部の顧問をやっているのですが、リズム感がない生徒というのがいて、「若者はリズム感がある」というのは勝手な思い込みであることを痛感しています。しかし、最近では「リズム感がないのではなく、その人特有のリズムが生まれながらそれぞれにあり、人々とのかかわりの中でリズムの共有がなされてゆく」と考えるようになりました。つまり、H.Sちゃんには、当然まだ十分な社会性はない訳で、同じアンパンマンのマーチでも、彼女の身体リズムはああいう風なんだなと思う訳です。つまり原初のリズムを聞くことができて、貴重な体験でした。さて、これからどうなってゆくのでしょう。来年が楽しみです。



<N.Tさん>-また良い人が仲間に入ってくれましたね。ピアノ演奏にせよ歌にせよ、本当に懐が広いというか華があるというか、人に音楽を伝える術と想いが明確にあるというのが素晴らしいです。プロであっても全く遜色ない存在感もあったのですが、やはり本当に好きな事は仕事にはしたくないという感じなのでしょうか。あるいは、いろいろな運命の流れの中でたまたま今に落ち着いているのかな。



<N.T(娘)さん>-この年頃の子って、こういう何とも言えない「場」に出るのはためらうものだと思うんですけど、本当に飄々と何気なく音楽を作ってゆきますよね。彼女くらいの技能を持った同世代の人はいっぱいいると思うのですが、10代特有の自意識というのが邪魔して、なかなかにああいう風に自然体には弾けないものです。そういう意味でどんな大人になるんだろうと楽しみです。というか、すでに完成されている雰囲気があるので、二十年たっても、見た目も中身もそれほど変わってないような気もしますが。



<R.Oさん・J.Iさん>-このお二人、フランス近代作品を弾いた訳ですが、「こういう風に表現したい!」というのが本当によく伝わる演奏だったと思います。誤解を招きそうな表現ですが、いつまでも失われない「乙女の心」を感じますね。コンサートホールでなく、こういうサロンで聴きたい演奏です。



<K.Tさん>-K.Sさんと並んでこの人も「ガッツの人」ですよね。そして、今回弾いたベートーヴェンのソナタ24番作品78「テレーゼ」、あえてこれを選ぶというのもなかなかいいなあと思いました。演奏も骨太で聴きやすかったです。



<M.Iさん>-ピアノという物体がその家にとって「音の出る家具」なのか「音楽を産み出す神秘の箱」なのかによって、子供の音楽的な環境はだいぶんと違うでしょう。音楽を表現する才能というものは厳然としてあるのは事実ですが、それが開花するかどうかはまさに環境です。そういう意味でM.Iさんは非常に良い環境を子供たちに与えているんだろうなあと演奏を聴きながら想像しました。



<M.I(娘)さん>-相変わらずとばしていましたが、この年頃であれば「自分が出来うる事を思い切りやりきりたい」という想いも強いと思うので、今後様々な経験(音楽以外の)を重ねて音楽を作っていってほしいです。バッハのシンフォニア、きちんと声部の弾き分けができていて縦・横のラインはばっちりです。あとは、この抽象的な小宇宙をさらにどのように表現できるか模索していってほしい。スカルラッティ、なんの衒いもない非常に素直な好感のもてる演奏でした。できればスカルラッティの555曲ある鍵盤のためのソナタのより多くの作品を知り、自分が今弾いている作品が全体の中でどんなキャラクターなのかを考えてみてください。メンデルスゾーンの無言歌はやはり自分の側に共感できる何かがあるのか、非常に説得力のある演奏でした。今後の大きな課題はテクニカルな面と精神面とのバランスをどうとっていくかです。技術的に難しい作品は、たいてい精神面でも難しい。この年齢でこのテクニカルなレベルに達していると、この先「何をいかに弾いてゆくのか」が難しいなあというのが私の心配です。精神面で易しく、技術的に難しい作品はやはり「曲芸的」になりがちで、いろいろやった後に楽しみとして挑戦するのはいいですが、弾けるからといって若いころにそういうのばかり弾くのもどうかと思います。個人的には「王道」を進むべきと思います。さて、来年はどうなっているでしょうか?



<N.Iさん>-音への感受性が素晴らしいですね。ピアノをやっていると、鍵盤を押すと音は勝手に出てくるし、出てくる音にも鈍感になりがちですが、ヴァイオリンは「音が命」。よって、ヴァイオリンの才能はまず「音が聴けるか」というのが一義的にあります。当たり前ですが、音程を定めなければなりません。そして、音色もすべて自分で決めてゆきます。そういう点で今回、この年齢で、その作品に必要な音をきちんと出せていると言うだけで凄いです。やはりこれは持って生まれたもの+環境ですねえ。



<A.Kさん・A.Kさん・H.Kちゃん>-どうのこうのいって、夫婦(家族)で音楽ができるのってうらやましいです。あんまり人の事、うらやましいなんて思わない方なんですけど(基本、「人は人、自分は自分」という基本スタンスで幼児から生きてきたので)、「夫婦で音楽」だけは「人は人」で済まされない何かがあるような気がするんですよね。特にこのお二人(+お嬢さん)はそれを強く感じました。学校の先生やっていると、どうしても「家庭環境」というものに直面しなければならず、夫婦仲が悪ければやはり子供はいろいろ問題を抱えている事が多い。子は鎹(かすがい)とはよく言いますが、それは子育てという共通の目的が衝突の抑制力になるという事だと思うのですが、逆に考えれば鎹になっているからこそ、子供は傷ついているんです。別に、世の中もともと何もなくても仲の良い家庭も多々あると思うのですが、一緒に音楽をやるとなったら、なおさらにもっと具体的で精神的なつながりを確認しなければできない訳で、音楽が鎹となるならば、理屈の上では皆がもっとハッピーになるはずで、ふとアフタヌーンピアノンノって家庭円満に大きく貢献しているのではと思ったりして。ちょっと楽観的すぎるかな。










次にピアノクラブの人々。





<Y.Oさん>-ピアノクラブきっての理論派がベートーヴェンのバガテルに行きつくのはちょっと早いのではと思ったんですが、考えて見れば全然早くないですね。彼の明晰な頭脳をもってすれば、同じ時間でも、私なんかよりも多くを見て、多くを経験し、ある種の境地に達していると思われます。つまり、私の精神年齢はとうに追い越しているでしょう。でも、バガテルは枯れた回想の音楽じゃあないんですよ。ベートーヴェンの後期の作品は、悪戦苦闘した上での「俯瞰の音楽」なんだと個人的には思っています。奥さんも言っていますが、「悟り」には確かにまだはやい。「悟り」の前段階の「俯瞰」だと思うのです。



<M.Oさん>-去年、「ペダルをほとんど使わないラヴェル」という離れ業をやってのけた訳ですが、今年もまたペダルは最小限で「道化師の朝の歌」を弾いてくれました。旦那さんの指摘のように、ラヴェルの作品は(ドビュッシーの仲間ではなく)古典派の延長であり、ペダルは最小限に抑えて音色の微調整に徹する方が美しく響くようにできているのです。しかし、単純に古典派のように繊細に明晰に弾いていればいいってもんでもない。現代ピアノのための音楽なので、ピアノの機能を最大限に活用した作品でもある。つまりは、繊細にかつ大胆にという相矛盾する音楽なのがラヴェルなのです。と言う訳で、アクセント・リズムもきっちりしていて、大変に豪快なラヴェルでよかったです。



<A.Mさん>-弾く曲、何を選ぶかが私にとってはいつも注目の的なんですが、グリーグは全く予想がつきませんでした。しかも抒情小曲集作品68-3の「あなたの傍で」を弾くとは。ロマン派ど真ん中の中年男性が弾くには気恥ずかしさすら覚えるこの曲を弾く(たぶん、純粋にブラームスっぽい曲として選んだとは思うんですが)のにある種の男儀(別の言い方をすれば父性)を感じますね。これ弾いて、後で奥さんと連弾で「歩道のカフェテラス」とか私は恥ずかしくて無理です(というか色々と別の面で演奏はできないと思いますが)。で、演奏ですが、メロディラインが途切れる部分の間の味わい、そして息の長い歌の部分のカンタービレも大変よかったと思います。たぶん、子供だとまだこういう風には弾けないんですよ。それらしく表情をつけて上手く弾けるとは思うのですが、「それらしい表情」と「まさにこの表情」とは雲泥の差があるわけで。最近、演劇部の顧問やっているもんで、そういう作為というものに敏感になっております。

ギロックの星空円舞曲、歩道のカフェテラスですが、ワルツを弾く時には3拍目に意識をしてみてください。強く弾けということではありません。意識をちょっとそこに傾けるということです。ズン・チャッ・チャのチャです。西洋音楽は基本的にはアクセントがあるのは最後の拍です。しかし、どこで間違ったか、何故か日本の音楽教育の中で、最初の拍にアクセントがあるように教えるようになったので、最初の拍を強調する癖がついている人が大半です。でも、ホントはそうじゃないのです。一例として、ショパンのワルツ作品64-2を聴いてください。最後の拍にアクセント的なフレーズがあるかと思います。分かりにくければ、同じ曲をラグ(2拍子)に編曲したものを聴いてください。違和感ないということは、もともと裏拍(アフタービート)にアクセントがあったということです(それを誇張している)。ただし、西洋音楽でも民族音楽を取り入れているような作品(ハンガリー舞曲、トルコ行進曲など)はあえて最初の拍を強調しています。強調することで、民族音楽ぽっさを出しているのです。ジャズ・ポップス・ロックはもともと西洋音楽にある裏拍(アフタービート)をもっと強烈に前面に出したものです。ジャズ系のクラシックならガーシュインの前奏曲、ロックでいえば紫の煙なんかは典型的ですね。と言う訳で、3拍目に意識を集中すると、もっとワルツっぽく躍動感がでてきます。繰り返しますが、音を大きくするという事ではないです。意識を向けるということです。特に歩道のカフェテラスでは、ベース担当(つまりペースメーカー)ですので、曲の雰囲気を決めるのはお父さんです。



<N.Mさん>-N.Mさんに限らず、お子さんのいる人々の切り替えの速さにはいつも感心することしきりです。本当に演奏直前までバタバタしていても、いざピアノの前に座ると完全に音楽の世界に没入できるというのが、凄い。夫婦連弾では「子供なんていないんじゃないの?」と感じるくらいに二人だけの世界になっていて、曲想もあいまってその仲睦まじさにアフタヌーンピアノンノの全体の空気をつくっているように感じました。ちなみに、「歩道のカフェテラス」って、ちょっと妙だなあと思って原題を調べてみたら、Sidewalk Cafeでした。これなら、単純に「カフェテラス」でいいと思います。Cafe Terraceはもともとイタリア語で、歩道や野外にあるカフェのことです。つまり、「歩道のカフェテラス」って、「豆の煮豆」みたいな訳なんですね。



<Y.Mくん・S.Mちゃん・K.Mくん>-3人とも「音楽がとことん好き」というよりも、様々なやりたい事の中に「音楽もある」という感じで、これくらいのペースで音楽と関わってゆくのがいいのかなと思います。楽器の演奏というのはつきつめれば、いくらでも先があり、その先を考えると段々と嫌になり、中学あたりで「楽器演奏は一切シャットアウト」という事になりがちなんですが、最初から程良い距離感があれば、末永く自分の世界の一部として保持する事ができるでしょう。保持する事ができればその年齢ごとの琴線に触れる音楽の出会いがあり、違った形で自分なりの音楽世界を作ってゆく事ができるでしょう。まあ、今後どんな事に興味が増して、情熱の分配というのがどうなるかはわからないので「音楽はとりあえずもういいや」と言う風になるかもしれませんけど。ただ、Kくんに関しては、なんとなくですけど、高校生あたりで「ドラムやりたい」とか言い出しそうな気が。と言う訳で、打楽器をやっているような錯覚を与える「太鼓の達人」とか「太鼓さん次郎」とかはなるべくやらせない方がいいかもしれません。え?すでにやってる?それじゃあ、しょうがないですね。まあ、長い目で見守りましょう。



<M.Mさん>-相当に大昔に私がショパンに夢中だったころ、技術的に難易度の高くないワルツとかマズルカとかノクターンとかプレリュードとかエコセーズとかを結構弾いていました。で、技術的な問題はあるにせよ、自分はショパンの音楽の理解者・代弁者だと思い込んでいたものです。若気の至りでなんたる傲慢な考えだったかは、ちょっと世界を広げれば痛いほど分かる事でした(上手く弾ける人がいるということでなく、ショパンはそんな単純な音楽ではないということに気付く)。ショパンには、ピアニストに「自分はショパンを理解している・代弁者だ」と言う風に勘違いさせる「麻薬みたいな何か」があるんですね。ことにそれは技術的に難易度が高まれば高まる程に強くなり、プロのピアニストとなっても、「ショパンのスペシャリスト」とか平然と宣言する人が後を絶たない訳です。まあ、それぞれのピアニストにそれぞれのショパンがあるのですね。それはショパンの音楽が「不正解はあっても正解のない」ものだからです。よって、ショパンだけしか弾かないショパンコンクールも成り立つ。冷静にショパンについてきっちり考えるならば、時間はいくらあっても足りないし、そう簡単に演奏の正解も見いだせない。よって、理知的・構築的なピアニストはたいていメインレパートリーにショパンはほとんど入れません(ブレンデル、グールド、ケンプ、バックハウス、シュナーベル、ゼルキン)。いわゆるショパンがレパートリーの中心というピアニストは「思いこみが激しい」というか「自己中心的」というか「直感的」というか、そんなタイプのピアニストが多いような気がします(ルービンスタイン、コルトー、ロシアピアノスクールの面々、パデレフスキ、パハマン、フランソワ、などなど多数)。ま、そうでないと演奏会なんてできないと思います。

前置きが長くなりましたが、M.Mさんの「舟歌」、「いい曲だから弾いてみた」という以上でもなければ以下でもない、ある意味でストレートな演奏でした。大人になれば、アマチュアは特にそうですが、「自分のショパンはこうよ!」的な「アク」出てくるものですが、そういうのは全然ないです。よくニコニコ動画とかで「~を弾いてみた」というタイトルのものがありますが、その気の抜けた言い方に反して「君、相当に練習しているだろう!」というのが多くて(例えば、去年からネット上でヒットしている千本桜のピアノバージョンなんて、かなり練習しなければ弾けないでしょう。「弾いてみた」とかいう気易い決意ではできないはず)、M.Mさんの演奏もそれに通じるものがあります。ただひたむきに弾いてみた、その結果、音楽そのものが単純につむぎだされる。音楽に力強さを感じますね。今回は、たまたまショパンだったけど、彼女の場合、なんでもそうなんですよね。



<K.Mさん>-ナウシカいいですね、やはり。ペダルなしというのがもったいないと最初は思っていましたが、原曲が名曲なんでポツポツ弾くのもなんだか味わいがあってよかったです。久石譲って、一般的に凄く人気のある作品と優れた作品とが微妙にずれている事が多いんですが、ナウシカに関しては宮崎・高畑コンビに推されて初めて起用された経緯もあり、人気と内容とが一致している素晴らしい作品です。やはりジブリ第一作というのもあるんでしょうけど、気合いが入っている感じがします。そう考えると、「トトロ」じゃなくて「ナウシカ」を選ぶというのがやはり、K.Mさんの成長の証なのかもしれませんね。



<瀧山晃弘さん>-瀧山さんの何が凄いって、一度もピアノを触らずにいきなりあの音色が出せるということです。普通、プロだってリハはやるでしょう。会場での響き具合とかタッチとかペダルの具合とかを微調整する。彼はそれなしで、あの音を出せるんです。ガチャガチャ音を出すだけだったら、ピアノをそれなりに弾ける人だったらリハも要らないかもしれない。でも、弾くのは神智学のスクリャービンなのですよ。もちろん彼としては満足のいく演奏ではないのは重々承知の上で書くなら、もう身体と音楽が一体化しているとしか言いようがない。ピアノは単なる彼の頭にある音楽の媒介装置に過ぎないのではと思ってしまいます。

さらに彼の凄いのは、常に新たな道へ進もうとしているところです。「まだ先がある」と妥協せずに探求し続けている姿は全くもって音楽家の鏡です。今年は去年とはまた違った演奏でした。去年は見通しのいい明晰な音楽作りを志向していた感じですが、今年は全体の構成はしっかりしているにもかかわらず、部分部分に多彩なニュアンスが盛り込まれていて、まさに芳醇なスクリャービンでした。ここまでスクリャービンに傾倒しているアマチュアはそんなにいないでしょう。たぶん日本に限って言えば、アマチュア(セミプロか?)スクリャービン弾きベスト3には必ず入ると思います。アフタヌーンピアノンノに来てくださるのは本当にありがたいことです。









話とびますが、昨日「パシフィックリム」というハリウッド版ロボットVS 怪獣映画を見に行ったのですが(もし巨大ロボットと怪獣が好きでまだ見てなかったら、映画館で3D見る事を強くお勧めします)、その中で準主役の菊地凛子が水本桂さんに似ていたので、来年はまた彼女の力強い演奏を聴きたいなあと思ったことでした。



では、来年もよろしく!


~ここまで~





Oさん、遠いところから来てくださり、まだDVDお渡ししていないにも関わらず、こんな長文の所感をお寄せくださり、感謝感激です。
ありがとうございます!




8 件のコメント:

  1. さすが。臨場感たっぷりのコメントですね。DVDを見ながらぜひ読み返したいと思います。

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  2. ろいこさん。ほんとさー。ありがたいよねえ。オレには書けないよこれは・・・当たり前か(笑)

    DVDはエンコードにやたら時間かかっていて、ちょっと遅くなるかも。でも8月中には送れると思います。しばしお待ちを!!

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  3. いいんですよ、ユングさんが書けなくたって。演奏する人がいて、聴く人がいて、裏方で準備してくれる人がいて、写真を撮る人がいて、企画&呼びかけする人がいて。そして楽しみに待っている人がいて。みんなの力で成り立っているのだから。

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  4. ここまで演奏に真剣に向き合ってもらえるのは、耳が痛くもあり(笑)とてもありがたくもあります。何より次回の励みになります。
    Oさん、ありがとうございます!

    会場で「夫婦で連弾しないの?」と声をかけてもらったこともあり、さっそく連弾モノを物色中です(笑)

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  5. 「連弾」はまったく頭にありませんでした。
    声をかけていただいた方は知らないかたでしたが、こういう言葉をもらえただけでも弾いた甲斐があったのかなと思いました。

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  6. ろいこさん。
    そうだねえ本当に。
    しかも、特に分担とか決めて頼んだりしたわけじゃなく、みんな好きでやるのが素晴らしいよね。

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  7. Y.Oさん
    連弾誘ったの誰だろ?Fくんかな?
    ご夫婦が連弾やったらすごそうだねえ!無敵夫婦!!

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  8. Oさん。本当に、大変な長文のコメント、ありがたく拝読いたしました。

    私のグリーグは、全音の楽譜ではタイトルが「あなたのおそばに」になっていました。あまりに恥ずかしいので、英題の「At your feet」とプログラムに書きましたが、グリーグは終生夫婦仲がとても良かったようで、曲からそういう印象も受けましたので、まあほっこりしていていいかなと思い、この曲を選びました。最近こういう恥ずかしい系の曲を選ぶのが恥ずかしくなくなってきました。技術さえあればもっと恥ずかしいのも弾いてみたいのがあるのですが。

    ワルツ、3拍子目に意識。アドバイスありがとうございます。演奏会後、なんとなく試してみています。ちょっとすぐには分からないかも。私の意識の中では完全に1拍目がリズムの起点です。時間かかりそう。

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