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「AFTERNOON PIANONNO(アフタヌーン・ピアノンノ)」は、平成4年の北大ピアノクラブ創設当初所属していた部員のうち、一部のOB/OG仲良しメンバーが集まって2010年からやり始めた、小さなサロンコンサートです。茨城で知り合った音楽を愛する仲間さんたちと一緒に年に1度集まり、なるたけお金をかけずに気軽に音楽を楽しもうという、ただそれだけを思って始めた、ささやかな集まりです。 ぼちぼち、ゆる~く、続けていこうと思っております。よろづ帳はこちら! ブログへのご意見・ご要望はこちらまで。

2018年9月3日月曜日

O.Mさんが今年も力のこもった所感を寄せてくださいました!

埼玉から来てくださったM.Oさんが、今年もまた力のこもった所感を寄せてくださいました。
思うのですが、今回9回目となったアフタヌーン・ピアノンノ、M.Oさんの所感自体もほぼ同じくらい積み上げられているうちに、所感そのものの進化も感じるような気がしています。これは、小説家の域ではないかというくらいに(というか、実際に出版されているので半分あってるんですけど!)、読み手に訴えるものを感じる「作品」のような気がしてきています。M.Oさん、いつも本当にありがとうございます。

というわけで、内容はそのまま、氏名のみイニシャルに変えて、転載させていただきます。


=============================================================== 所感ここから

例年、O家の作るプログラムの完成度が半端でないなあと思うのですが、どこまで意図して構成しているのかは私には判断できないところがあります。

今年もまた、プログラムを開いた瞬間に「これって、四大元素でまとめている?」と思ってしまったのでした。四大元素とは「風」「土」「水」「火」のこと。ざっくりと、この四つの要素にそれぞれの音楽を先入観抜きに分類し、それぞれの元素の中での流れを考えて全体の世界観を作っているように思いました。無論、作成者当人はそんな事は考えていなかったかもしれませんが、すべて聴き終わってみると「いやあ、凄いなあ。やはり、四大元素だ」と思わざるを得ない順番でした。それぞれの音楽が四大元素の構成要素としてその場所でぴたりとはまっています。もう、これ以外考えられないという感じ。

というのは全くの私の先入観にすぎない訳ですが、その先入観に沿って、心に残っているそれぞれの音楽の印象を綴っていきます。




●第一部 風の章
・M.Oくん ブルグミュラー 清らかな流れ
 意図したものかどうかはわかりませんが、後のドビュッシー「喜びの島」「雨の庭」に続くような、まさにオープニングにふさわしい輪郭のくっきりした演奏でした。こういう根っこにある演奏スタイルみたいなものは、お母さんからの影響もあるんでしょうかね。


・Y.Kさん 久石譲 崖の上のポニョ
 結構、リズムが難しい曲だと思うんですけど、難なくきっちりとメリハリつけて堂々と弾けるY.Kさん、なかなかに大物ですね。指で弾いているというより、腕の重さをうまく使って身体全体で弾いている感じがよかったです。


・Y.Sさん ドイツ民謡 かわいいオーガスチン
      ドイツ民謡 モルゲンレーテ
 かわいいオーガスチン、不謹慎ながら今はなき「カメラのきむら」を思い出してしまいました(カメラのキタムラではありません)。一方、モルゲンレーテはドイツ語で「朝焼け」の事で、ガンダムとは無関係です。さらにややこしいのは、ドイツ民謡とも無関係な題名ということ。日本の山岳人が歌うために作った和製ドイツ語なんですね。そんな余計な事はどうでもよくて、強調したいのは、Y.Sさんのタッチ。とても明快でまっすぐストンと響いてくる音が大変心地よかったです。リズムもしっかりしていて素晴らしいです。


・H.Kさん ベートーヴェン エリーゼのために
 若いころは、あまりに皆がこの曲を弾くので、あまり真面目にこの曲に向かい合う気にはなれませんでした(単に天邪鬼だったのです)。しかし、様々な音楽に接した後に改めてこの曲を聴いてみると、ABACAの単純なロンド形式ながらなんとも不思議な曲だなあと感じるようになりました。譜面上の指示が意外と少なく、全体の指示もPoco moto(こころもち動きをつけて)だけなので、弾く人によってだいぶんと解釈に幅があります。ちょうど告別ソナタと同じころの作品なので、そういう背景も考慮に入れて弾く人もいます。今回のH.Kさんの演奏、AからB、CからAの転換も明確な対比をつけるというよりも、表情を少し変える程度にとどめ、そっと頬に触れる夕方のそよ風のようにまとめてくれました。


・H.Sさん フランス民謡 おもちゃのへいたい
      バイエル さよなら
 どちらもしみじみした気持ちになります。ピアノにまつわる様々な情景が思い浮かぶという事もあるのかもしれませんが、そういう印象を取り除いても、音楽自体に味わい深さがあるように感じます。前の「かわいいオーガスチン」や後に続く「ぶんぶんぶん」とは違い、ピアノの世界だけで聴かれる音楽というのも大きいかもしれません。ともあれ、H.Sさんが一生懸命弾いて音がこぼれてくるだけでピアノの世界の扉を感じます。


・K.Mさん ボヘミア民謡 ぶんぶんぶん
      ドイツ民謡 ちょうちょう
 あまりに有名な昆虫音楽2曲。と言いたいところですが、「ちょうちょう」の方は、ドイツ本国では「幼いハンス」という蝶とは全く無関係な歌詞。ただ、ドイツでも歌詞は後からつけたもので、どちらも本来の歌詞があるのかどうかも不明です。でも、メロディ自体はどちらもドイツあたりの民謡が原型であることは間違いないようです。K.Mさんの無垢でシンプルな演奏は、会場の静寂さと相まって「癒しの時間」を作ってくれました。それにしても、みんな静かに聴くようになりましたね。


・K.Mさん、H.Sさん、K.Sさん(連弾) チャーチル いつか王子様が
 一気に大人びた曲となりました。ディズニーのアニメ映画、白雪姫(1937)の挿入歌として有名な曲ですが、あまたのジャズ編曲もあります。映画公開時の年にガーシュインが夭折していた事を考えれば、こういった音楽の土壌があった事も頷けます。というより、今回は演奏もさることながら、ピアノの周りにこびとさんたちが集まったような様子が微笑ましく、視覚的な効果も絶大でした。無論、白雪姫役はベース担当のK.Sさんです。


・M.Oくん、M.Oさん(連弾) 黒須克彦 夢をかなえてドラえもん
 しっかりした伴奏に支えられているとはいえ、この曲はいざピアノで弾くとなると案外と裏拍のリズムとるのが難しいんじゃないかなと想像します。歌う時は、それほどリズムの難しさを意識しないのですけどね。そこはデジタル(不連続的)な音しか出せないピアノとアナログ(連続的)な音をいくらでも出せる声楽との違いでしょうか。しかし、その辺のリズム感覚は、M.Oくんのピアノ演奏はバッチリで、ピアノで自然に歌うという事を何気にやっていてさすがだなと思いました。


・M.Kさん バッハ メヌエット
 備忘録的に書いておくと、このメヌエットはBWV Anh 114でト長調。おそらく今の日本では既にパデレフスキーやボッケリーニを超えて最も有名なメヌエットでしょう(有名になった原因はたぶん薬師丸ひろ子の「ラバーズコンチェルト」のせい)。プロのチェンバロ奏者の人もよく弾く曲なので、すっかりそっちに慣れていたせいもあって、M.Kさんのピアノ演奏、何ら気負いのないシンプルな所が初々しくて新鮮でした。チェンバロの人は、結構、こういった曲でも装飾音や即興的なパッセージを激盛りすることがあって、それはそれでいいのですが、音楽素材の良さが引き立つ今回のようなまっすぐな演奏もいいですね。


・M.Gさん ブルグミュラー すなおな心
      ブルグミュラー アラベスク
 どちらも非常に美音な演奏でした。M.Gさん、自分の出している音をしっかり聴いている感じでしたね。もしかすると、性格の違う二つの曲の音色を意識的に作っているのかなとも想像しました。ともあれ、音に対するセンスがいいなあと思いました。なお、ブルグミュラーのアラベスク、なぜこの行進曲風の曲の表題がアラベスク(唐草模様)なのは未だに謎なのですが、誰か理由を知っていますか?


・H.Kさん、Y.Kさん、A.Kさん(連弾) 久石譲 君をのせて
複数の独立した声部を互いに助け合いながら懸命に弾いている様は感動的でした。やはり連弾は音の厚みがあるのでいいですね。テンポやフレージングの広がりもまさに思い切り向かい風をうけて「地球はまわる 君をのせて」という感じになっていて非常によかったです。第一部のフィナーレにふさわしい、堂々たる演奏だったと思います。





●第二部 土の章

・O家兄弟 (ショートコント) 翼をください
 少し聴きとりづらい所もありましたが、新しい試み、ぜひ今後も思い切ってやってほしいです。こういった替え歌やコミックソングは昔から庶民の音楽の中では重要な位置を占めていて、かのモーツアルトも親しい人への手紙などでいろいろなふざけた替え歌を作っています(無論、正式な作品ではありません)。そして、その楽曲としての具体例が最後の「動物の謝肉祭」です。日本の狂歌もこれに近いでしょうし、今は伝統芸能扱いの能楽も元々はこういった土着の滑稽寸劇がもとだったと言われています。つまりはこうしたショートコントは意外と伝統のあるものなのです。できれば、自分で創作して「新作」を発表してほしいです。


・S.Mさん エルメンライヒ 紡ぎ歌
 S.Mさんにはちょっと申し訳ないのですが、どういう訳か、前のコントに続いて訥々としたこの曲の演奏が始まった瞬間、コントの可笑しさが増幅された感じがして、つい吹き出しそうになってしました。曲も演奏も、いたって正統かつ端正なものだったのですが、組み合わせというが前後関係というか、ピタッとハマるというのはこういう事かなと思いました。まさに、間奏曲のような感じになったのです。演奏者にはなんら責任はありませんが、まさにプログラムの妙と言えましょう。なお、紡ぎ歌、後のルーマニア民俗舞曲2曲目の帯踊りも実質同じ種類の楽曲です。


・S.Kさん 中村天平 君がくれたもの
 雰囲気が一気に変わって、中村天平さんのリリックな曲。実は初めて聴く曲で、やはり超越技巧で攻めてゆく印象が強かった中村天平さんに「こんなストレートでシンプルな曲もあるんだ」という発見がありました。中村さん、メロディメーカーでもあったんですねえ。月並みな感想ですけど、そんな曲を情感たっぷり込めつつもキラキラした宝石のような演奏として聴かせてもらえて感謝です。


・A.Oくん、M.Oさん(バイオリン+ピアノ) ゴダイゴ 銀河鉄道999
 私にとってはこの曲は懐メロのようなものなので、どんな楽器で演奏しても頬が緩んでしまう訳ですが、ヴァイオリン&ピアノもいいですねえ。ピアノ連弾版や吹奏楽版で聴くと、この曲の勇壮な感じが良く出るのですが、A.Oくんのような堂々としたヴァイオリン演奏だと鉄郎の独立心が凛としてたちあがってゆくような清々しい印象を受けました。伴奏も鉄郎を支えていくような雰囲気でよかったです(それが伴奏というのかもしれませんが)。
 この映画版の曲をもって「銀河鉄道999」と言われる事が多いのですが、個人的にはテレビ版「銀河鉄道999」のささきいさおの歌う主題歌も大好きで、まさにヴァイオリンを歌わせるにはうってつけの曲ですので、是非ともご検討を(と無茶を言ってみます)。


・Y.Mさん バッハ イギリス組曲2番より ジーグ
      ゲディゲ 歌のように
      ガルシー バスに乗って
  知らない作曲家・作品を知るのは、このアフタヌーンピアノンノの楽しみの一つです。今回もバッハからのごく自然な流れで、親しみやすい二つの曲が続き、初めて聴く曲なのにどこか懐かしい心持ちがしました。調べたところ、バッハに続く二人の作曲家はだいぶんと異なった時代の人で、生年没年を記すとゲティゲ(Alexander Goedicke)は1877-1956、ガルシー(Janina Garscia)は1920-2004のようです。ガルシーの「バスに乗って」は唐突に不協和音で終わったので、ちょっとびっくりしましたが、バッハ再評価時代らしい対位法的なゲティゲの「歌のように」とのコントラストが効いていて、なかなか巧みな曲の配列だと思いました。


・S.Iさん ドビュッシー ベルガマスク組曲より「月の光」
  時間が引き延ばされたようなテンポに、すぐにその独自の世界に引きずり込まれてしまいました。個人的には今回最も印象に残った演奏かもしれません。この曲、完璧に磨き上げられたガラス細工を愛でるような演奏が現代では主流になっています。それはそれで美しいのですが、昔はいろいろなタイプの演奏がありました。S.Iさんの演奏は、戦前のディズニー映画「ファンタジア」でカットされたと言われる「月の光」を彷彿とさせるような一音一音を踏みしめる滲んだ実在感が広がってゆくものでした。とはいえ、現在流布されているこの曲のテンポ感が身体に刻み込まれていると、弾きやすい所は走ってしまいがちで、今回のテンポで弾きとおすのはそれなりの意志と持久力が必要かと想像します。しかし、見事にイン・テンポを通しました。凄い胆力です。と思っていたら、来年公開予定の米国映画「Godzilla・King of monsters」の予告編のBGMがこの「月の光」でまさに今回のテンポ感でした。つまり、S.Iさんの演奏は、地下から現れる巨大怪獣を思わせるほどスケールの大きい演奏だったという事も言えるように思いました。私の勝手な思い込みにすぎませんが、今回の演奏は、ゴシック・ロマンスな「月の光」というのが私の中ではしっくりきています。


・Y.Oさん ドビュッシー 前奏曲集第2集より 交代する3度
  ドビュッシーを愛好する人そして虫嫌いな人には大変申し訳ないというか不快となるであろう事を書きます。どちらか(もしくは、どちらにも)に当てはまる人は、ここは読み飛ばしてください。
ずいぶん前にドビュッシー前奏曲集のそれぞれの曲へ自分なりに動物を当てはめるという遊びをしていた時がありました。さすがに音像の作曲家ドビュッシーだけあって、聴いているといろいろな動物のビジョンが現れてきます。例えば、「沈める寺→シロナガスクジラ」とか「西風の見たもの→遡上して産卵する鮭」とか。そして、この「交代する三度」でイメージされたのが「Periplaneta fuliginosa」(一応、学名でカモフラージュ)。触覚を動かして周囲を伺い、いきなりものすごい速度で走り出し、どこかへ消えてゆく。そうイメージした瞬間から、私の中でははまりすぎていてそれ以外のイメージが浮かばなくなりました。どんな名手の演奏でも、思い浮かぶのはPeriplaneta fuliginosaの大胆不敵なあの行動様式です。ある意味、メカニカルな部分が強調される演奏であればあるほどにPeriplaneta fuliginosa感が増大します。ところが、今回のY.Oさんの演奏ではそのPeriplaneta fuliginosaのイメージがいっさい現れませんでした!人からみれば、そんなの知るかという話ですが、これは私にとっては画期的な事なのです。Y.Oさんの演奏は、人影に驚いて逃げまどうケープハイラックスの子供たちが脳裏に鮮明に浮かびました。

・A.Mさん ブラームス 間奏曲 Op.117-3
      谷川賢作 その時歴史が動いた
 やはり大切な曲を繰り返し弾き続けるというのはいいなあと思います。同じ人が弾けば、根っこのところは大きくは変わらないのですが、1年前と比べれば身体の細胞のほとんどが入れ替わっている訳で、少しずつ何かが違ってくるものです。それは、過去の演奏と録音で聴き比べればある程度わかることですが、生演奏でしかわからない事もあります。過去の演奏を録音で聴き比べるというのは、既に未来を生きてしまった故の「補正記憶」になってしまっている可能性があるのです。何が言いたいのかというと、「たった今、この曲を弾いている」というその「今」しか存在しえない何かが大切じゃないかと思う訳です。そこには演奏そのものだけでなく、ともにその場にいた人々の共体験も含まれます。そんな事をついつい思わせてしまう滋味あふれる演奏でした。今回は中間部のちょっとした荒々しさが漏れ出てきたのが新鮮でした。A.Mさんにはこれからも弾き続けて欲しいです。
 続く「その時歴史が動いた」ですが、盛り上げるところは思いっきり盛り上げる熱演に聴き入ってしまい、条件反射的につい「さて皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいります…」の松平定和アナの声が脳内再生されて、気分は大団円となりました。そして、「大胆不敵にハイカラ革命」の千本桜へ続きます。


・A.Oくん、M.Kさん(バイオリン+ピアノ) 黒うさP 千本桜
 この曲がバルトークの前にあるのは個人的に非常に嬉しかったです。なぜかというと、1)メロディーラインのほとんどが東洋の音階である五音階(短調)であるにもかかわらず単なる演歌調にならないように巧妙に処理されている事(なお、この曲を長調にすると沖縄民謡風になります)。2)前奏(と間奏)で3:3:2のリズムでくさびを打ちつつ、他の部分は基本的にアチェルランド(加速)したくなるようなリズム音型(2:2):(1:1:1:1)が通奏低音的に刻まれている事。この二つの特徴によって、結果的に明治以前の日本のアップテンポな民俗舞踊を現代的な風味で再構成されるような曲になります。曲の性質としては、当然、バルトークと親和性は高いです。なお、この曲はもともと初音ミクというボーカロイドのための作られたもので、黒ウサPのPはプロデューサーの略です。
 今回のA.OくんとM.Kさんのヴァイオリンとピアノの演奏、これほどに落ち着いた演奏になるとは思ってなかったので、かなりびっくりしました。いつもは加速するリズムに扇動されて感覚的に聴いてしまうこの曲の構造的な素晴らしさがわかる演奏でした。同時にこの冷静さ、次に弾く私へのプレッシャーにもなっていたりします。

 
・M.Oさん ベラ・バルトーク 6つのルーマニア民俗舞曲
 これは古層の音楽です。どういうことかというと、この作品はバルトークがルーマニアの農村部へ録音装置を携えて直に民謡採集したものが原型になっているのです。20世紀初頭のヨーロッパでは既に古い民謡は本来の形ではなくなっていました。というのも、古い民謡は中世以降の西洋音楽の体系に組み込まれて「洗練化」してしまっていたのです。そうした洗練化された「民謡風」の素材を活用した作曲家は大勢いましたが、バルトークは「民謡の原石(古層)こそ、これからの音楽に必要なのだ」と確信していたのです。ということで、バルトークは、辺境の地に奇跡的に伝わっている古い音楽を求めて東欧地域を採集録音旅行していたのでした。その成果の一部が、この6つのルーマニア民俗舞曲です。民族ではなく民俗であることに注意です。民俗音楽は、ある地域の土地・環境に密接に根付いている小さなコミュニティにおいて先祖代々伝えられてきた古層の音楽です。一方、民族と言った場合、やはり国境や村という政治的な単位が入るので、ちょっとニュアンスが変わってくるのです。バルトークが採集した録音を聴く限り、この曲集はほぼ生の民俗音楽の素材を使っています。つまり、この曲集は近代化以前の農村に確かに存在した音楽のタイムカプセルなのです。その後、辺鄙な農村であってもラジオ放送や交通網の発達で、音楽的には完全に近代化されきっていて、古い音楽は残されてないでしょう(この曲集に使われた民謡採集地点は、ストリートビューで見る限り、今でもかなりな田舎でしたが)。
 という理屈はともあれ、この曲は私にとっては本当に身体の奥底から湧き上がる何かを抑えられない音楽なのです。好きとか心地よいとか感動するとかいうのとは全く違う何か。客観的な視点でこの作品を処するのは譜面上では可能なのですが、いざ弾き始めると自分が何者なのかわからなくなるような強烈な始原的な音楽の力があるのです。という訳で、久々に人前で弾くのはちょっと冒険でした。結果、緊急停止あり、脱線事故ありのなかなかにお恥ずかしい演奏で申し訳ない想いでいっぱいではありますが、こんな演奏でも、東欧エリアの古層の音楽の雰囲気が少しでも伝わっていれば幸いであります。


・Y.Oさん バッハ 平均律第2巻より第4番
      スクリャービン ピアノソナタ第3番第4楽章
 「バッハの平均律には森羅万象のすべてがある」とはよく言われますけど、典雅な前奏曲でじっくり変容しつつ、急速なフーガで一気に全容が見えてくる様は、まさに前のバルトークの乱調から真っ当な心持ちを取り戻させるのに十分な貫禄ある朗々たる演奏でした。
それに続くスクリャービンの4楽章は、地から湧き上がるマグマのような演奏を久々に堪能しました。(Y.O君としてはすべて放出しきっていないのかもしれませんが)やはり音響のダイナミクスが凄まじく、息の長いクレッシェンドの後の伽藍のような大音響が素直に心地よかったです。まさに、小噴火を繰り返しつつ最後に大噴火を達成させ噴石を飛び散らせているかの如き、con fuocoでした。




●第三部 水の章
・M.Oさん ドビュッシー 喜びの島
 この曲ほど聴く人によって思い浮かぶイメージが異なるものはそうそうないでしょう。というか、何かしらイメージがわかずにはいられない曲ですね。タイトルから島までの船旅を想定する人もいれば、島での楽しみが走馬灯のように現れる様を考える人もいるでしょう。タイトルを知らない人がこの曲を聴くと、これまた様々な情景がいくらでも出てくるのが面白いです。タイトルについている島はギリシャのキティラ(シテール)島なのですが、ドビュッシーがその島に行った訳ではありません。「シテール島の巡礼」という絵画の印象を音楽にしたものと言われています。が、実情は妻を捨てて他の人妻に夢中になって浮かれている時の心情を素直に表したという事らしいです。なお、シテール島は性愛の神アフロディテゆかりの島。そう思うと、ちょっと地に足がついてない感じが全編にわたってあるのも頷けます。
M.Oさんの演奏は、音の塊がかなり前面に出てきていて、浮かれ側面よりも生命力の方があふれるような感じの健全な雰囲気が充満していました。もしかすると、無人島での野趣あふれるサバイバルの様子を描写した音楽に聴こえた人もいるかもしれませんね。


・S.Mさん、A.Mさん(ハーモニカ連弾) 赤木顕次 明治45年度北海道大学恵迪寮歌「都ぞ弥生」
 去年以上に即興性あふれる二重奏で、この寮歌を歌う状況も同時に再現されているようでよかったです。北大構内の栄枯盛衰の象徴サクシュコトニ川のせせらぎを思い浮かべつつも、木造の恵迪寮を知るS.Mさんと星型恵迪寮しか見てないA.Mさんとの合奏はやはり途中拍子が変わったりしてスリリングかつ憧憬を感じさせるものでした。この曲、合唱団などが綺麗にきっちり歌い上げてしまうとまた違う感触になってしまうのですよね。


・M.Nさん ギロック 雨の日の噴水
 程よく制御されたレガートと見通しの良いフレージングで見事に透明感あふれる水の情景を表現できていて、飛び入りというにはあまりにはまりすぎていた清涼な演奏でした。情景と言いましたが、あくまで心の中の情景であって、実際に雨の日に噴水へ行ったら、この曲のような光と水あふれる感覚にはならないかもしれません。そして、改めてギロックは、合衆国の穏健な作曲家だけあって、ルロイ・アンダーソンやモートン・グールドと同じ空気を感じます。なお、ギロックは「教育音楽界のシューベルト」と呼ばれていたらしいですが、次に「西洋音楽史上の」シューベルトが続きます。


・K.Sさん シューベルト 即興曲 Op.90-2
 シューベルトは膨大な歌曲を残した作曲家ではありますが、実は「情景描写」だけの音楽は大変少なく、原則的に彼が音にするのはやはり人の内面でしょう。歌曲において歌詞にあわせた情景描写の部分があったとしても、それはあくまで内面を伝えるための「舞台装置」にすぎないように思います。この即興曲もまた、何か具体的な風景を表現したというよりも、心に浮かぶ泡沫の気分を譜面に落としていった作品でしょう。という訳で、時折、この曲を物凄いスピードと音量でガリガリ弾く人がいたりすると、「内面の発露」というよりも「工業製品の生産」という言葉が浮かんでしまいます。K.Sさんの演奏、ゴリゴリと押してくる感じではもちろんなく、かといって、さらさらと流麗に通り過ぎてしまうスタイルでもなく、一歩一歩自分の心持ちを確認しながら流れるせせらぎのように、まさに即興性にあふれた味わい深いものでした。


・I.Kさん、S.Kさん、N.Mさん(ピアノ+ボーカルデュオ) 松任谷由実 雨の街を
 この曲を歌っている頃は松任谷由美ではなくて荒井由実でした。その頃のユーミンは、後の完全にコントールされた歌声とは違って、もっと不安定で生々しい部分があり、彼女の原型のようなものが感じられて「この時代の方がいいなあ」と個人的には思ってしまいます。声は身体に直結していますので、年齢の変化・心情の変化というのは出やすいのでしょうね。そんな生身のユーミンの曲をS.Kさん&N.Mさんの二人で歌う事で、不思議な揺らぎが生じていました。それは、まるで荒井由実の倍音成分豊富な歌声を二人で再現する試み(?)かのように聴こえ、何気に挑戦的な二重唱だったのではと思いました。
 もしかすると、ある世代にとっては、デビュー当時の荒井由実の音楽は70年代の「都ぞ弥生」のようなものだったのかもしれません。


・M.Oさん ドビュッシー エチュード~5本の指のための
     ドビュッシー 雨の庭
 「エチュード1番の5本の指のために」は後の「動物の謝肉祭」の「ピアニスト」にも続く音階練習から始まる曲。生演奏で聴いたのは初めてでした。ドビュッシーのエチュード全曲を演奏会で弾くというのもあまりなく、抜粋となったときには大抵は終曲の12番の「和音のために」が演奏される事が多いようです。そして、この1番、実際に生で聴いてみてこのように響くのかと感嘆しました。そして、この「5本の指のため」は「雨の庭」とカップリングすると大層効果的という事も実感。「雨の庭」は「喜びの島」と同様に、前へ前へと押し出されてくるM.Oさん独自の音響によって原曲の「嫌な天気だから、もう森にはいかない」が「ゲリラ豪雨だから、森には行ってはいけません」のような趣に。まあ、作曲者もそういう効果を狙ってタイトルを変えたのかもしれません。


・C.Gさん チャイコフスキー ドゥムカ Op.59
 バルトークとは違ったアプローチで民謡主題を使った作品です。ロシア六人組はロシアの民謡をかなりストレートに流用していますが、チャイコフスキーはかなり洗練された形で自らの交響詩的小品として民謡を落とし込んでいます。副題は「ロシアの村の風景」となっている訳ですが、私はこの曲の前奏を聴くと、豊饒な土地を悠々と流れる大河の遠景を思い浮かべます。そして、その岸辺の村の人々へフォーカスが定まってゆき、舞踊的な展開が始まるといった感じになります。実際にはこの曲にある旋律の舞曲は実在しないでしょうけど、そこはチャイコフスキーの技法でバーチャルな農村風景が浮かぶように作られているのです。C.G君がそのような情景を想っていたかどうかはわかりませんが、今回の演奏は一つ一つのフレーズに川べりの情景が匂い立つような絶妙なニュアンスがあふれていて、単なるショーピースにとどまらない情緒あふれるこの曲の良さを十分に賞味できるものだったと思います。


・A.Mさん ブラームス 間奏曲 Op.118-2
 何度弾いても「これで完璧」という演奏にはなりそうにないのがOp118-2という作品だと思っています。逆に、その時その時に弾いたのが、それぞれのベストとも言えるかもしれません。この作品の音符の先にある世界は、演奏者の人生の写し鏡でありましょう。その時を精一杯生きていれば、自ずと演奏の中にその人の内面の澱が溶け行く様が見て取れるはずです。何を訳わからない事を書いているのかと自分でも思いますが、A.Mさんの今回の演奏はそんな感慨を抱かずにはいられない万感の想いが詰まったもののように思えたのです。と同時に、この先、この作品はA.Mさんの中でどこに向かうのかという事も気がかりです。もし、どう弾いたらいいのかどう感じたらいいのか行き詰まったら、誠に勝手なご提案ながら、是非ともOp119-4に挑戦して、新たな地平を身体に刻み込み、新たな心持ちでOp118-2へ戻ってきてほしいと思います。


・M.Mさん スクリャービン ピアノソナタ第2番 Op.19 「幻想」
 まさに今回のM.Mさんの演奏は「水のための幻想曲」ともいうべきものでした。かなり湿度のある音色に支えられつつ自由にゆらめく少しつかみどころのないフレージングが私を水への世界へ誘います。あくまで個人的な妄想ですが、1楽章は沼の岸辺からボートを漕ぎだして、様々な回想を振り返りながら向かい岸にある因縁の廃屋へ向かう情景が浮かびます。そして、2楽章は険しい渓谷の激流に揉まれて溺れないように必死に浮かびあがろうともがく、水という流体の抵抗を感じてしまうような演奏でした。M.Mさんにそんなつもりはなかったのかもしれませんが、私にそう思わせてしまうのはやはり演奏全体に「水の感触」を錯覚させる音の実態が感じられるためでしょう。特に2楽章では本当に水しぶきが頬に当たったように感じるくらいにリアルでした。これがもっとメカニカルな練習曲風にガリガリと演奏されるとまたかなり違った印象となるように思います。






●第四部 火の章(水本桂さんの部)

・ ショパン バラード 第1番
 NHK版「ピアノの森」の雨宮修平の演奏を思い出した人もいるかもしれませんね。NHK版は原作の豊饒さからするとアニメ作品としては今一つなのは否めませんが、登場する演奏が本格的なのでどういうことかと思ったら、登場人物のキャラクターに近い若手のピアニスト、それも国際的に活躍している人を起用していると聞いて納得しました。で、その雨宮修平のピアノ演奏を担当しているのは、高木竜馬さん。この人の演奏は、録音で聴く限り、水本桂さんの求心力のある演奏スタイルと通じるものがあり、充足した音楽体験を堪能できます。そして、今回の桂さんのバラードも物語の起承転結の容赦ない激しさと厚みで、炎燃え盛る壮大な悲恋譚を大ホールの特等席で観劇できたような充実感に満ち溢れていました。いつも予想はしてはいますけど、やはり間近で聴くと圧巻の熱演です。


・ サン・サーンス 動物の謝肉祭
 世の中にはストラビンスキーの「春の祭典」をピアノ独奏で弾くという到底信じられない事をする人が実在します。その演奏CDを聴くと、ピアノを通してあの複雑なオーケストレーションの曲が確かに聴こえてくるのです。鍵盤は理屈の上では(指は十本なので)最大20音しか同時に出せないはずなのに、管弦楽の音が聴こえてくるように感じるのは本当にマジックです。その演奏家にどうやって編曲し演奏したのかを尋ねたインタビューがあり「オーケストラ譜を見ながらその瞬間瞬間のインスピレーションで弾いている。特にピアノ用には譜面にはしてない」という回答でした。それを読んだときは「なんじゃそりゃ!同じ人間とは思えない」と思ったものですが、本当の音楽家というのは、そういう情報処理は朝飯前らしいのです。
水本桂版「動物の謝肉祭」もほとんどその世界です。ピアノ独奏版の楽譜はあるにはありますが、そもそも桂さんが見ているのは室内楽用の楽譜。以前、ラフマニノフのチェロソナタをピアノ独奏に直して弾くというのも驚きましたが、今回はさらに声部が増えて、様々なキャラクターの曲が集まっていますから、元の編成の音楽として生き生きと聴こえるように音色や旋律線を臨機応変に瞬時に変えてゆかなければなりません。しかし、聴こえてくる音楽は「動物の謝肉祭」そのものなので、聴き手は「こういうもの」として鑑賞します。しかしながら、メカニカルなテクニック以前に「動物の謝肉祭」として聴かせるという事にどれだけの音楽的な素養・技能を必要とするか気が遠くなります。この水本桂版「動物の謝肉祭」の素晴らしさ・凄さを実感するために、是非とも標準的な編成の「動物の謝肉祭」と水本桂版の演奏とを聴きくらべてみてください。

そして、この曲は、サン・サーンスによるショートコント集ですから、桂さんもそんなに深く考えることなく、思い切りはっちゃけていました。ピアノの機能全開・メカニック的に破局寸前の様相になるまでフルスロットルです。さらに、桂さん自身の語りもあるとなっては贅沢にも程があります。さらにさらに!エキストラの皆さん、あまりにはまっていて驚愕でした。これぞ以心伝心です(まあ、フライング以心伝心もありましたが)。そして、今回の他の人の演奏をも総括するような盛大なフィナーレ。終わった瞬間のピアノの弦にマッチを近づければ火が付くんじゃないかと思えるほどの爆演でした。本当にお疲れさまでした。





最後に

・ youth case ふるさと
 Y.O君の事前の的確な指導とわかりやすい譜面のおかげで、結構難しい(と私は感じる)、混声合唱の曲を皆で歌う事が出来ました。本番でも各声域にリードしてくれる人がいて、初めての人でも歌いやすかったのではないでしょうか。やはり、ハーモニーが声で作れると盛り上がりますね。この集まりがある種の「ふるさと」のように感じられ、アフタヌーンピアノンノの未来へ何かをバトンタッチしたような心持ちになりました。





=============================================================== 所感ここまで


文筆に長けた方であることは自明なのですが、これを書くのに使われた労力を思うと本当に頭が下がります。感謝しかありません。
いつもアフタヌーン・ピアノンノを見守っていただいていることを文章から切々と感じます。本当に、ありがとうございました。


2018年7月30日月曜日

AFTERNOON PIANONNO 2018 ご参加御礼

こんばんは。ユングです。

AFTERNOON PIANONNO 2018を終えて、本日一息つきました。いつも支えてくださっているご参加の皆様、お疲れさまでした。


なかなか毎回うまく進行を回せない素人司会で恐縮ですが、皆様のフォローに助けられながらなんとか無事に終わりまで行きつくことができて、ほっとしております。ありがとうございます。

子供たちの明るい元気な演奏、大人たちの渾身の演奏を聴いて、本当に毎回やる気を引き出させられます。そしてまた、来年なにを弾こうかな、と考え始めています。


そうそう、A.Kさんに言われて気が付いたのですが、来年は10回目なんですね。Anniversaryです。
まだ早いですが、なにか面白いことできたらな、と考えています。
きっとまた来年も、よろしくお願いします。


今回のブログラム曲目を載せておきます。


●第一部
・ ブルグミュラー 清らかな流れ
・ 久石譲 崖の上のポニョ
・ ドイツ民謡 かわいいオーガスチン
・ ドイツ民謡 モルゲンレーテ
・ ベートーヴェン エリーゼのために
・ フランス民謡 おもちゃのへいたい
・ バイエル さよなら
・ ボヘミア民謡 ぶんぶんぶん
・ ドイツ民謡 ちょうちょう
・ いつか王子様が
・ 黒須克彦 夢をかなえてドラえもん
・ バッハ メヌエット
・ ブルグミュラー すなおな心
・ ブルグミュラー アラベスク
・ 久石譲 君をのせて

●第二部
・ (ショートコント) 翼をください
・ エルメンライヒ 紡ぎ歌
・ 天平 君がくれたもの
・ ゴダイゴ 銀河鉄道999
・ バッハ イギリス組曲2番より ジーグ
・ ゲティゲ 歌のように
・ ガルシー バスに乗って
・ ドビュッシー ベルガマスク組曲より「月の光」
・ ドビュッシー 前奏曲集第2集より 交代する3度
・ ブラームス 間奏曲 Op.117-3
・ 谷川賢作 その時歴史が動いた
・ 黒うさP 千本桜
・ ベラ・バルトーク 六つのルーマニア民俗舞曲
・ バッハ 平均律第2巻より第4番
・ スクリャービン ピアノソナタ第3番第4楽章

●第三部
・ ドビュッシー 喜びの島
・ 赤木顕次 明治45年度北海道大学恵迪寮歌「都ぞ弥生」
・ ギロック 雨の日の噴水
・ シューベルト 即興曲 Op.90-2
・ 松任谷由実 雨の街を
・ ドビュッシー エチュード~5本の指のための
・ ドビュッシー 雨の庭
・ チャイコフスキー ドゥムカ Op.59
・ ブラームス 間奏曲 Op.118-2
・ スクリャービン ピアノソナタ第2番 Op.19 「幻想」

●第四部
・ ショパン バラード 第1番
・ サン・サーンス 動物の謝肉祭

最後に
・ youth case ふるさと



音響を手伝ってくださったI.Kさん、写真撮影をしてくださったH.Kさん、プログラムを作ってくださったO夫妻さん、ウェルカムボードを作ってくださったM.Mさん、ペダルの出し入れなど気を回してくださったC.Gさん。そして会場に足を運んでくださったみなさま。本当に、ありがとうございました。



取り急ぎ、御礼まで。