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「AFTERNOON PIANONNO(アフタヌーン・ピアノンノ)」は、平成4年の北大ピアノクラブ創設当初所属していた部員のうち、一部のOB/OG仲良しメンバーが集まって2010年からやり始めた、小さなサロンコンサートです。茨城で知り合った音楽を愛する仲間さんたちと一緒に年に1度集まり、なるたけお金をかけずに気軽に音楽を楽しもうという、ただそれだけを思って始めた、ささやかな集まりです。 ぼちぼち、ゆる~く、続けていこうと思っております。よろづ帳はこちら! ブログへのご意見・ご要望はこちらまで。

2014年8月9日土曜日

福島のOさんによるAFTERNOON PIANONNO 2014 所感!

福島から来てくださったM.Oさんが、AFTERNOON PIANONNO 2014の全ての出演に関して、とても面白い視点から所感を寄せてくださいました!!!


演奏そのものと、その奥にある内なるものに迫る、とても興味深い所感です。


お忙しいところ素敵な所感をお寄せくださり、ありがとうございました!以下に転載させていただきます!!!



~ここから~




こんばんは。会津のM.Oです。
改めて、アフタヌーンピアノンノ、準備から運営、演奏、本当にお疲れさまでした。
いつも、「聴きに行くだけでいいのかなあ」と思っているのですが、ついついお言葉に甘えて4回目となりました。
その演奏会も、ほぼ一週間前。早いですねえ。
とんぼ返りだからなおさらそう感じるかもしれませんが、
本当にあの夢のような演奏会があったのだろうか、と日々思いながら過ごした一週間でした。
振り返ると、子供たちはどんどん成長しているなあというのが今回、印象に残りました。
ずっとこの企画が続いていくなら、子供たちはやがてはいなくなるのかなと夢想したりもしました。
さて、この一週間、バタバタした日常の合間をぬって少しずつ書きためた今回のアフタヌーンピアノンノの印象を一気に送ります。

失礼な事を書いてないか、全くの的外れな事を書いてないか、いろいろ不安はありますが、
ともあれ、私が感じた事であることは確かであるので、御容赦願います。
そして、万が一、何かの参考になったなら、嬉しいです。







今回のアフタヌーンピアノンノ、いつも以上に充実した内容だったように思います。単純に良い曲が多かったとか、凄い演奏が多かったという事だけでなく、全体として曲の内容のバランスがいいのと、その順番と配置が絶妙だったことが大きいと思います。これ、順番や配置を間違えれば、かなりカオスな状況になりかねないと思うのですが、実に自然に様々な音楽がつながっていったと感じました。そして、今回その絶妙なプログラムのおかげではっきりと認識したのは、「家族それぞれに音楽の色合いがある」ということです。家族で音楽というと、ついつい「合奏」というものが思い浮かぶわけですが、仮に「合奏」がなくても、その家族にはなんとも言葉には表しにくい「何か」が底にあって、個別に演奏しても、その家族の「色」が出てしまうのです。同じような曲を演奏してもそうです。誤解のないように書いておくと、これは「演奏が似通っている」ということではありません。音楽をやる動機というか意欲の部分の「何か」が共通だということなのです。

ということで、今回は、順番関係なく、家族ごとグループごとに音楽の印象を書きとめていきます。






<生活の音楽>
I.Kさん・S.Kさん あまちゃん
M.K嬢・I.Kさん・S.Kさん アナ雪 Let it go(歌)
M.K嬢 轟千尋 おつきさまのおはなし

 I.Kさんご一家は、今年がたまたまな事もあるかもしれませんが、やはり「生活に根付いている音楽」を楽しむという感じがよく伝わってくる演奏でした。流行りの音楽というのは、当然のことながら最も普段「耳にする」訳で、自然と耳に馴染んでゆきます。馴染んだものは愛着がわくので、演奏も自然に湧き出るようになってゆくでしょう。いわば、自然発生的に生じる、生活に密着した音楽つくりということになります。M.K嬢が、轟さんの「おつきさま」を選ぶというのも、普段なじんでいる音楽との親和性からではないでしょうか。という訳で、音楽に無理がなく、M.K嬢の英語歌詞の独唱も、ある意味その年齢で凄いと言えば凄いのですが、普段から何気に歌っているからこその安定感でしょう。Let it goって、結構、大人な歌詞の歌ですよね。あの映画、小さい女の子が見て分かるんだろうかとちょっと不思議な気がしていたんですが、M.K嬢のなりきり方を見る限り、ちょっと「おませな女の子」なら余裕でわかるんですかね。あまちゃんも、もちろん純粋に楽しく聴くことができました。






<暖色系の音楽>
K.Mくん ぶんぶん
K.M氏・A.Mさん シューマン 詩人の恋「美しい5月には」
S.M嬢 ギロック ほろ馬車
Y.Mくん ブルグミュラー 天使の合唱 、天上の城ラピュタ シータの決意
N.Mさん ユモレスク

 M家の音楽は基本的に「暖色系」だと思います。今回、御尊父の歌唱を聴くことで、ほぼ確信に至りました。この暖色系音楽は「家系」なのだなと。もちろんそれぞれに個性があるのですが、音楽が先鋭化しすぎないと言うか、何か暖かなベールに包まれているようなそんな感触をM家の音楽から感じるのです。K.Mくんの「ぶんぶん」、S.M嬢の「ほろ馬車」でもそのM家の兆候が表れています。幼児が弾くとかなり暴力的な音色になりがちなこれらの曲を、K.MくんもS.M嬢もしみじみと弾いてくれました。御尊父のシューマンはフレージングの滑らかさが素晴らしく、自我をどこかに置いてきてしまったような、さりげない歌わせ方が印象的でした。そして、それに寄り添う息子、A.Mさんの伴奏もまた歌声に溶け込むように繊細でした。素晴らしい成長を見せてくれたのはY.Mくんでした。これほどに美しいブルグミュラーは久々に聴いたかもしれません。その美しさはどこから来るかと言えば、自分の音を持っているということに尽きます。ピアノと言う楽器はどんな音でも出せる半面、自分がイメージする音がなければ、音程以外は実は何も表現しえないものなのです。おそらくはY.Mくんには、内なる確固たる自分の音があるのです。だから、自分が出す音に集中している。もちろん、それはラピュタの曲でも同じです。何を表現したかったかは、まだ明確ではなかったかもしれませんが、「この音だ」というものはあったように感じました。そして、N.Mさんのユモレスク。これほどに情景が浮かんでくるユモレスクはなかったです。弾いている本人は何を思い浮かべているかは定かではないですが、「3人のお子さんを育て、家をまとめて大変ながらも幸せな日々を慈しむ情景」が私にはありありと見えてきました。全然、そのような表題音楽ではないんですけどね。






<憧れの音楽>
H.S嬢・K.Sさん アナ雪 雪だるまを作ろう(歌)
Y.S嬢 スラブ行進曲
H.S嬢・K.Sさん グルリット ロマンス
K.Sさん ショパン ワルツ 10番、14番
K.Tさん・K.Sさん アナ雪 Let it go(ピアノ)

 アナ雪つながりで、K.Tさんもここに入っています。先に小さい女の子が「アナ雪」をみて、理解できるんだろうかと書きましたが、H.S嬢が「雪だるまを作ろう」を歌うのをみると、「ああそう言う場面は子供でもわかるよねえ」と納得したのでした。しかし、途中入る語りが映画そのままで滅茶苦茶可愛いですね。はっきりいって、これは反則です。いっさいの装飾のない純真なこの語りの可愛さに敵うものはないです。一方、K.Tさん・K.Sさん連弾のLet it goは大人の音楽。それぞれに、あの映画で思う所感じる所があったのだろうと思います。何を感じるかは人それぞれですが、歌詞ではなく、連弾を通して、言葉にならない様々な想いが表現できるというのは、やはり音楽のいいところです。Y.S嬢のスラブ舞曲(いきなり終わるのが斬新!)、H.S嬢のグルリットのロマンス(あんまりロマンスっていう感じの曲ではないですが)、K.Sさんのショパンの2つのワルツ(この選曲がいいですね)、どれも共通するのは、日常にはない音楽への憧れというものです。憧れと言う表現が適切かどうかはともかくとして、「この曲いいなあ」とか「こういう曲を弾きたいなあ」とか「これが弾けたらどんなにいいだろうなあ」とか、日常から一歩踏み出た、そんな音楽の世界への想いが伝わってくる演奏なのでした。






<挑戦の音楽>
K.Tさん フランス組曲 5番 アルマンド、ブラームス ワルツ15番

今回もなかなか難しい曲に挑戦しました。どちらも対位法的に無駄のない作品で、ごまかしがきかず、ちょっとでも声部を間違えると、元に戻すのが大変です。特にバッハはモーツアルトのように決まったコードの上に旋律があるという構造ではありませんので、一つの音を抜くと、すべての関係が崩れてしまうという状況になります。ブラームスも一見すると三拍子の伴奏に乗って旋律が単純に歌われているように見えますが、密かに声部がからみあっています。そのからみあいが、何とも言えぬ奥行きと味わいを感じさせる訳ですが、これもちょっと油断して縦・横の関係が崩れると、なかなか修復するのは大変です。それでも、頑張って最後まで弾ききったのはさすがです。やはり、この作品への想い・こだわりがある故でしょう。もう少し遅めのテンポで、一音一音を慈しむように弾くと、もっと気持ちよく音楽が作れるかもしれません。それなりのテンポでないと曲にならない作品もありますが、この二つは、もっとゆっくりでも音楽になりうるのではと思います。






<真摯な音楽>
Y.Nさん 月の光
H.Nさん 押尾コーターロー編曲 戦場のメリークリスマス

 H.Nさんの戦場のメリークリスマスには驚きました。いやあ、このバージョンを弾くとは、、。完全なるギター素人の私ですが、一番繊細で、一番原曲の良さをギターによって伝えていて、しかし一番難易度の高い押尾バージョンは、初めて聴いた時は「いったいこれはどういうことなのか?」と狐につままれたような感覚でした。それを生で目の当たりにできるという幸せ。タッピングもフラジオレットもきっちりと決まっていて、どれだけ修業を積んだのかと想像せざるを得ませんでした。この編曲でこの曲を表現したいという真摯な想いがこの奇跡的な演奏を実現させたのだろうと思います。というか、ピアノと違って、どれだけ難しいのか想像すらつかないのが正直なところですが。どちらにせよ、日本人には馴染みやすい曲だけに、安易にジャカジャカ、ガチャガチャ演奏される事の多い作品ですが、これだけ静謐で高貴で、ある意味ストイックな演奏を聴ける機会は滅多にないでしょう。そして、それに合わせるかのようにY.Nさんの「月の光」です。順番としてはこちらが先だった訳ですが、音色に頼らない透明感あふれる真摯さの伝わる演奏で、やはりこれはH.Nさんの演奏とセットなんだなあと後から実感しました。






<体感する音楽>
H.K 嬢 スピッツ チェリー
H.K 嬢 チェルニー 羊飼いマーチ、イギリス民謡 きれいな花
A.Kさんとノイジーファミリー 忍たま乱太郎
A.Kさん B・リチャーズ 夕べのさえずり

 今回の演奏会で最も驚愕したのは、H.K嬢の弾き語りでした。彼女のリズム感の良さは、様々な人の演奏する音楽に合わせて的確に踊っている以前の姿から明確でしたが、まさか「リズム感を失わずに、ピアノを弾きながら、歌ってしまう」というハイレベルな潜在力まであるとは思わずに「御見それいたしました」と言う他ありません。しかも、曲は普通に「大人の曲」であるスピッツのチェリーなんですから、二重の意味で驚嘆です。しかしながら、J.S.Bachがいなければ、C.P.E.Bachの名も音楽史に残らなかったのと同じように、身近に「お手本」となる存在がなければ、いくら素養があってもこういった技能は決して開花しないでしょう。すなわち、K家の生活の中には「体感できる音楽」に溢れていて、いかにも楽しそうに弾き語りをやっているお父さんの姿があって、自然と「あれ、やってみたい」となることでしょう。そして、幸運な事に、H.K嬢に、その意欲を実現できる素養が備わっていたという事なのだと思います。もちろん、それは家族全体に伝播して、良い意味で刺激を受け合って盛り上がっているのかなあと勝手な想像をしています。忍玉乱太郎も、全員でノッていくという雰囲気がよく伝わってきました。ピアノ始めてまだ間がないとアナウンスのあったA.Kさんの可愛らしい小品も、この家族のなかで可憐に咲くデイジーのような演奏で良かったです。ともあれ、体感する音楽をこれからも繰り広げてほしいなあと思いました。






<前進する音楽>
K.M嬢・M.Mさん ルグラン キャラバンの到着
Mia&Assey 枯葉
M.Mさん リラの花 音の絵Op.39-5

 M家の音楽は昔から直球勝負。余計な寄り道はせずに、一歩一歩まっすぐに音楽が前へ前へと突き進んでゆくのが特徴です。シェルブールの雨傘の作曲家、ルグランの「キャラバンの到着」。通常、この曲は、思い切りスイングしつつ、ジャジーに崩して(いわゆるルパン三世みたいに)演奏されるものですが、K.M嬢&M.Mさんの連弾では、実直にガシガシと重戦車のように曲が進行してゆき、何かショクタコビッチの作った映画音楽のようでした。これはこれでM家の音楽らしくていいです。Mia女史の「枯葉」もまた、暖かみのあるAsseyさんの伴奏に合わせて、奇をてらわずに正面から存分にまっすぐな音楽を放射するといった感じで、心地よい歌でした。「枯葉」は、曲想が曲想だけに、過剰な情感を込めようとして、テンポを揺らしたり、半拍ずらしたり、溜めたりするものですが、そういう小細工はほとんどなしに、初々しく素直に歌い上げているのが良かったです。「枯葉」と言うよりも、「若葉」とでも言いたくなるような熱唱でした。そしてM.Mさんのラフマニノフ。輪郭のくっきりした骨太のラフマニノフでした。テクニカルな演奏難易度としては今回の曲目のなかでもトップクラスなのですが、誤魔化すことなく、情緒に流されることもなく、地に足のついた音楽を粘り強く作り上げていった感じです。ラフマニノフは、えてして「暗く」なりがちなんですが、一本骨の入った、これだけ健全なラフマニノフもそうそう聴けるものではないですね。ともあれ、M家は前進する音楽なのです。






<青年の音楽>
C.Gさん 英雄ポロネーズ

 こういう曲なので、そう感じるのかもしれませんが、若々しい演奏でした。まさに青年の音楽。別の言い方をすれば、年齢を全く感じさせない演奏。英雄ポロネーズは、ピアノを頑張っている十代の男の子がいつかは弾きたい曲ナンバーワンでしょう(たぶん)。ここで、少年たちは、プロコフィエフとかラベルは目標としないのです。なぜなら、少年達は「英雄」的なものが大好きな単純な生き物だからです。しかしながら、相当に修練を積んでも、なかなか思うように気持ちよく弾けないものです(セミプロレベルの人は除く)。いつしか青雲の志は雲散霧消し、多くのピアノ少年はキーボードの上手なオジサンになってゆく訳です。C.Gさんは、青雲の志を忘れることなく(というか、目標にしていたかどうかはわかりませんが)、今回こうして、全力でこの壮大なポロネーズに格闘していた様子は、胸打たれるものがあります。志に近づく気持ちを持ち続ける、それ自体が、もう青年の音楽と言う他ないですね。






<機知の音楽>
E.Uさん カバレフスキー ソナチネ1番

  カバレフスキーはソ連時代のロシアの作曲家。運動会定番のギャロップは誰でも知っているかとは思いますが、「それ以外の曲は?」と聞かれて答えられる人はそうそういないでしょう。ただ、非常に多くの教育用音楽を作ったので、日本ではピアノ学習者のみによく知られています。さて、そんなカバレフスキーのソナチネです。教育音楽ど真ん中な作品で、しかも、「教育音楽」から卒業する時の、総仕上げ的な作品。それなりに上達した子供たちが発表会などで弾く事が多いのですが、いかんせん「演奏が重い」。確かにテクニカルに難しい部分も多く、楽譜通りに頑張って弾こうとすればするほどに、重厚な演奏になってゆきます。が、カバレフスキーとしては、この曲は「パリッと爽やかに」弾く事を想定していたように思います。古典派・ロマン派のソナチネではなく、あくまで現代の新古典的なソナチネとして弾くのが正解でしょう。すなわち、機知溢れた音楽なのです。たまたま「学習用」というレッテルがあるために、プロによる演奏には恵まれませんが、内容はそれなりに変化に富んだ充実した作品です。ということで、さすがE.Uさん、実にパリッパリとすっきりした変幻自在なカバレフスキー的な演奏で私としては満足です。特に冒頭の重音の軽やかさ、諧謔味を引き出すために3楽章を弾き飛ばさずにあのテンポと曲想を保持したのもさすがです。






<随唱の音楽>
Y.Oさん・M.Oさん 
ドビュッシー 前奏曲 雪の上の足跡、西風の見たもの、沈める寺、パックの踊り、ミンストレル
A.Oくん・M.Oさん シューマン リートとロマンス 第二集 二人の擲弾兵 Op49-1

  ドビュッシーの前奏曲で二人のお名前があり、「連弾の編曲?あるいは違う楽器の編曲?」とか思っていたら、交互に弾いてゆくということでした。すぐさま、この曲はY.Oさん、この曲はM.Oさんと想定したら、その通りで、どんな演奏になるかもだいたい予想はついていたのですが、予想以上に夫唱婦随(婦唱夫随かな?いや、「氷炭相愛」がいいかな)な音楽になっていて感動しました。子供たちのノイズあふれる他ではありえない状況で聴く「雪の上の足跡」は、かえって音色がクリアに聞こえて「お汁粉に塩効果か?」と思ったりもしましたが、次の「西風の見たもの」で、極めて広いダイナミックレンジでM.Oさんの音色の成長を実感しつつ、周りのノイズは関係なく、そこに確かな音楽が林立していると感じました。で、同じようなノイズ状況で、「沈める寺」です。これまた痺れましたね。底の深い和音の連なりが決して分断されることなくクライマックスに向かって引き伸ばされてゆく様は圧倒的でした。そして、「パックの踊り」「ミンストレル」はあくまで軽妙にあっさりと弾き切っていて、爽快でした。ともあれ、このような演奏形式があることを認識しただけでも、大きな収穫です。まあ、誰と組むかが一番の難しい部分なのでしょうけどね。まだまだやんちゃな子供たちでしたが、やはりA.Oくんのシューマン、この親あって、この息子という感じで、簡易版の歌曲のヴァイオリン版でしたが、堂々とした演奏でした。ヴァイオリンは是非とも辞めずにこれからも続けて、様々な音楽体験を重ねていって欲しいなあと切に思いました。






<回想の音楽>
N.T嬢 ソナタOp110
N.Tさん 柴咲コウ 月のしずく

 意図したかどうかは分かりませんが、ソナタOp110と「月のしずく」はどちらも「回想」をテーマとした音楽です。ためしに、月のしずくの歌詞を思い浮かべながら、ソナタOp110を聴くと、想像以上にしっくりきました(特に3楽章)。「月のしずく」の方は大変に有名な曲ですので、そんな凝ったことは考えずに「良い曲だから」ということで選んだのかもしれませんが、どちらにせよ、合奏しなくても、このように曲想がシンクロするというのはやはり家族なんだなと思います。十代にしてOp110を弾く、というと、年寄は「まだ早いのでは」と言いたくなる訳ですが、それこそ年寄の思い込みで、いい曲は誰にとってもいい曲なのです。ただ、N.T嬢がこの曲のどんな部分に惹かれたのかは、個人的に大変興味のある所ではありますが。演奏自体は、気負わない自然なもので、深い事は考えずに一つの美しい曲としてとらえているようでした。いや、もしかしたら、「遠い将来、N.T嬢が成熟した大人になって若い頃を回想するような時の心情」を妄想して、その妄想内容をこの曲に託したのかもしれませんが。N.Tさんの「月のしずく」は完全に自分自身の音楽としてじっくりと表現していて、心地よく聴くことができました。弾き語りは、どうのこうのいって結構難しいものですが、それでもしっとりと歌い上げていて素晴らしかったです。柴咲コウのやや演技がかった歌い方よりも、こちらの方が個人的には好みです。






<求心の音楽>
水本桂 女史 きらきら星変奏曲 熱情

 求心といっても、心臓の薬ではありません(あれは「救心」か)。しかしながら、桂女史の演奏によって、心臓の拍動が激しくなってしまった人も多かったことでしょう。彼女の音楽の特質は、様々な音楽的要素がとある一点に向かって凝縮されてゆくその強力な求心力にあります。その特質が最も生かされる作品がベートーベンです。それも中期の作品。ということで、熱情は彼女にとってはどんぴしゃりの作品であると言えるでしょう。期待に違わず、彼女の特質が如何なく発揮された圧倒的な演奏でした。1楽章、3楽章の推進力は改めて言うまでもないことですが、2楽章の変奏曲の構築性もなかなか聴けるものではないです。技と勢いだけで押し切るタイプの人は、だいたい2楽章が死ぬほど退屈な演奏になるものですが、桂女史の2楽章は実に説得力に満ちた輝かしいものでした。彼女の音楽は、とにかく最後のコーダに向かって突き進んでゆくのです。おそらくは「台詞のない壮大な物語を体験した」という感慨を受けた人も多いと思いますが、まさにその感覚こそが「ソナタ形式」の体験なのです。反面、モーツアルトの変奏曲は、モーツアルトというよりはベートーベンの変奏曲といった感じでした。このロココ調(軽快・優美・繊細な装飾様式)な変奏曲が、ここまで硬質で構造を意識させるような演奏に変貌する事はそうそうある事ではありません。それでも説得力のある演奏になってしまう所が彼女の凄まじいところです。ともあれ、至福なひと時でした。







 最後に、A.Mさん、司会がもう完全に板についてきましたね。3年前はマイクがなかったというのもあるけど、司会と言うより「独り言」っぽい雰囲気でしたが、今や堂々とした司会者ぶりです。何か音楽番組の司会もできそうな感じです。

ともあれ、充実した演奏会でした。


では失礼します。


~ここまで~



Oさんには、私からCDやDVDを送ったわけではなく、会場で生で聴いた音をどれだけ集中して聴き耳に記憶にやきつけていたのか、その凄さを感じます。

本当に、ありがとうございました!!!





12 件のコメント:

  1. M.Oさん、ありがとうございます。
    こんなすごい長文を、録音やDVDもなしに書かれること自体がすでに人間業ではありませんが、その内容が素晴らしくあてはまっているように思います。妻とふたりでうんうんと頷きながら読ませていただきました。家族という観点からの所感、不思議で興味深い観点で面白かったです。司会が独りごとというのは親からも言われました(涙)でも前よりマシっぽくて良かったです(笑)

    こんな素晴らしい所感を書いて下さることに感謝します。ありがとうございました!!

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    1. 今回、本当に心に浸透したというか、そんな感じだったので細かい事は抜きにして、印象を書きました。当てはまっている部分も多少あるようで、ちょっと安心しています。

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  2. 学生時代はOさんのコメントが耳に痛い限りでしたが(笑)、大人になると、自分の演奏にコメント頂けるのは、本当にありがたいことだと思います。

    本番はやはり気持ちが舞い上がってしまって、自分がどんな演奏をしたのか、あまり覚えていないのですが、細かいミスがたくさんあり、やっぱり平常心で弾くのは難しいものなんだなーと実感していました。ドキドキで弾いていたので、ミンストレルの最後は、演奏が終わるのが、とにかく嬉しかったのを覚えています(笑)

    そんななので、演奏よりもプログラムをお褒めいただいたのがうれしいです(((o(*゚▽゚*)o)))

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    1. 自分の演奏のミスって、聴いている人にとってはたいして気にならないものですよ。もちろん気付かないって訳じゃないけど、それよりも「音楽がどういう風に進んでいくのかな」という方が気になります。だって、音はその場で消えてゆきますから。

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  3. 久保田一郎2014年8月10日 21:23

    毎回とても素敵な所感をありがとうございます。本人さえ気がつかない(私だけ?)とても幅の広い、深い内容で書いていらっしゃるのが、本当に凄いと恐れ入ります。そして、その根底にある暖かい視点に、お人柄を強く感じます。
    生活に根付いた楽しむ音楽が目標です。またご一緒できる機会を楽しみにしております。ありがとうございました。

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    1. 北大ピアノクラブ以外からのコメントをいただき恐縮です。いつも、ゆっくり話す機会もなく(結構人見知りなもんで)、申し訳なく思っています。あくまで、私の印象を書いているだけなので、多分に「妄想」が入っています。いくばくか当てはまる事があれば、それはやはり音楽のなせる技かなと思います。

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  4. 毎回緊張感をもってこのコンサートに臨めるのは、いただいてるコメントによるところが大きいです。本当にありがとうございます。
    また、このコンサートが仲のいい集まりにとどまらないのは、こういう的確かつ暖かい目線があるからと思います。
    さて、次回はどうしようかな(笑)

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    1. そう言っていただけるとありがたいです。やはり、私にとってのこの演奏会は、かけがえのない音楽体験なので、どうしても感動をどうにかして書き留めておきたい衝動にかられるのですよ。でも、書いたところで音楽そのものを表現できる訳ではないのですが。そんな想いが伝われば幸いです。

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  5. 素晴らしい所感をありがとうございます。
    私はユモレスクを子供たちが大きくなったときに、懐かしく思い出せるような日常の光景をイメージして弾いていたので、コメントを読んで本当にびっくりしました。
    M.Oさんの文章を読んでいると、私の知らない作曲家や曲名がたくさんでてきて、勉強にもなりますし、第六感で聴いているのかしら?と思うような洞察にとても惹きつけられます。
    次回も何卒よろしくお願いします。

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    1. 私の妄想と演奏者の想定がほぼ一致したのは、たまたまですよ、たぶん。私がそう感じたというだけですから。感覚的なものです。でも、あの音楽がそういう想いで弾かれていのだと思うと、素直に嬉しいです。幸せって、言葉にしたら儚いですからねえ。

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  6. 郷津 知太郎2014年8月12日 22:12

    所感,ありがとうございました!
    Oさんの所感,いつも楽しみに拝見しております!

    家族の色合い,言い得て妙だと思います.
    今回の演奏会はこれまで以上に演奏者の特徴が演奏に現れていると思いました.作為不作為関係なく,曲としてまとめたときには演奏者の本質の様なものが垣間見え,個人的にはそれをとても楽しみにしているのですが(だから今回はいつも以上に楽しかったです),Oさんの「家族の色合い」というくくりは,その本質の様なものが参加している社会に強く影響を受けるということを示唆されているのだと一人合点致しました.

    同時に演奏者の「こう弾きたい」という意識が演奏に与える影響は実は限定的なものであり,その限定的な枠の中でいかに様々な要素を差配するか,あるいは限定的な枠をいかに大小させるかが「演奏」の重要な側面なのかも知れないとも思わされました.

    Oさんの印象における自分の演奏については,無鉄砲という意味での「青年」,およびそのままの意味での「格闘」は,ぴったりと思いました.Oさんの所感を拝見して,「聴衆をなおざりにし,自分の弾きたい曲を頑張って弾く,やはりそれが僕の演奏なんだなぁ」と,変な表現ですがつくづく感じ入りました.と書くと,Oさんの所感にケチをつけている様に受け取られるかも知れませんが,誓って全くそういうことはありません.

    はばかりながら,しかし周知の事実と言っても良いかと思うのですが,僕はもともと「聴衆になんらかの印象を与えたい」という意識が弱く,「表現として完成させる気持ち」も強くありません(これについてはピアノクラブに参加したからこそはっきり自覚できたと思っています).

    程度の問題でもありますが,そうした考えにもとづく弾き方は,一般的に鼻つまみ者だと思います.
    しかし,音楽が好きなことには人後に落ちないと思っていて,楽しみながら,かつ「格闘」しながら演奏することが僕のやり方ってことでいいんじゃないかと,ある日思う様になりました.大変幸運なことにピアノクラブのメンバーや,Afternoon Pianonnoではそうしたやり方が大いに眉をひそめられつつもそれなりに受け入れてもらえて,今日まで人前で演奏できているのだと考えています(感謝の念とともに).

    自分の演奏について,常に上記の様に明瞭に意識しているわけではないのですが,Oさんが所感を書いて下さったおかげでこうしたことをつらつらと考えることができました.というわけで,いつもながら本当に感謝しております.

    僕の演奏は今後ますます,さまざまな意味で「格闘」となって行きそうです.
    他の方の演奏と比較してご迷惑千万とは思いますが,その成り行きを見守って頂けましたら大変幸甚です.一応自分本意だからといって,好んで騒音を演奏する気はありませんし,できるだけそうならないようには重々気をつける様に致します.
    今後ともどうぞよろしくお願い致します.

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    1. 音楽と言うのは非常に不思議なもので、どのような演奏形態であっても、そして、演奏者にどんな意図があっても、その形態や意図を超えて、何がが伝播してしまう力があるのです。自分で演奏し、自分で聴くだけだと、それは単一の閉じられた音楽ということになりますが、一旦、自らの演奏がより多くの人が聴かれてしまえば、そこには人の数だけの音楽が生じてしまう(良くも悪くも)。演劇、絵画、舞踏などでも同じような事は起きますが、やはり音楽ほどにその各人の受け止め方に多様性が生じるものはないでしょう。ということで、聴衆を意識せずに「格闘」していたとしても、そこで生じる音楽は、想像以上に多くの人の様々な感興を呼び起こしているのです。ただ、それぞれ言葉にはできないだけで。自信を持って、これからも遠慮なく「格闘」していただければ幸いです。結局、それが貴君だけが作れる音楽になってゆくのですから。

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