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「AFTERNOON PIANONNO(アフタヌーン・ピアノンノ)」は、平成4年の北大ピアノクラブ創設当初所属していた部員のうち、一部のOB/OG仲良しメンバーが集まって2010年からやり始めた、小さなサロンコンサートです。茨城で知り合った音楽を愛する仲間さんたちと一緒に年に1度集まり、なるたけお金をかけずに気軽に音楽を楽しもうという、ただそれだけを思って始めた、ささやかな集まりです。 ぼちぼち、ゆる~く、続けていこうと思っております。よろづ帳はこちら! ブログへのご意見・ご要望はこちらまで。

2016年8月10日水曜日

福島のM.Oさん渾身の所感!今年もこれで締めくくりです!!!

毎年素敵な所感を寄せてくださっている福島のM.Oさんが、今年も渾身の所感を送ってくださいました!!


毎年、M.Oさんらしい、独特の切り口で音楽を解析してくださる、わかりやすく、しかもウィットに富み読んで面白い文章です。今年は作曲者の年代別に並べてくださいました。


実は、M.Oさんのこの所感が、アフタヌーン・ピアノンノにとっての本当の「トリ」とも言えます。それくらい、私は楽しみにしています。


そんなわけで、いつもように、いただいた所感のうちお名前をイニシャルにして、転載させていただきます。




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こんにちは。
随分間が空きました。


今年はいつも以上に、こうして皆が集まって音楽をする事の希少さ、もっと言えば「奇跡」を強く感じました。

特に小さい子供たちが懸命に鍵盤に向かい、打楽器に興じている様を見ているだけで、その音楽というよりも、その音楽ができる状況そのものに涙が出そうになる事もしばしば。歳のせいと言えばそれまでですが、まさにテロが頻発する現場に住まう桂さん、あるいはインドネシアに旅立つビデオ出演のNさん一家の事を思えば、単なる私個人の感傷ではないのかなと思います。

テロや紛争に限らず、日本の場合、大きな地震や天災もどこでいつ起きるかわからない。さらには原発に限らず近代的で複雑な巨大施設やシステムがどこで破綻するかもわからない。



そんな心持のままシン・ゴジラを見てしまったので、もうピアノンノでの感情がさらに補強されてしまった感じで、音楽それぞれについて細かな事を書くのが難しくなりました。ということで、それぞれ演奏については「印象」だけを備忘録的に記しておきたいと思います。今回は、作曲者の若い順に書いていきますね。


生まれ順に並べると、違う曲なのにやはり世代ごとの雰囲気と言うか特徴が出てきて面白いです。






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●元ちとせ(1979-)   ハミングバード
Greeeen(ほぼ1980-) キセキ

どちらも両Kさん一家の音楽を愛する本当に本当に楽しい合奏でした。毎年、子供たちの成長を見て胸の内で涙しています。
アフタヌーンピアノンノの雰囲気というかムードは、間違いなくKさん一家が作っていると思います。特に今年はそれを感じました。
なお、Greeeenは、歯医者さん4人組の音楽グループなので、eが四つです。





●クリスティン・アンダーソン&ロバート・ロペス(ほぼ1975-) Let it go
黒須克彦(1978-) 夢をかなえてドラえもん

奇しくもどちらもアニメの歌。ついでにいうと、どちらも売れっ子作曲家です。
一昨年のピアノンノに Let it goラッシュがあった訳ですが、本当に女子に愛されている楽曲なんだだなあH.Kちゃんの自分の音楽となった演奏を聴きながら思いました。
最後の大合奏の夢をかなえてドラえもんも、子供たちの自発的かつ素晴らしい即興にもうただ感無量です。





●葉加瀬太郎(1968-) 情熱大陸
ビデオによる演奏との合奏は本当によく考えたなあと思いました。確かにビデオを見ているだけだと、何か「記録映像」みたいになってしまいますからね。まあ、記録映像には違いないんですが、それぞれの想いを分かりやすく表に出そうと思ったら、ビデオと合奏と言う風になるでしょうね。そして、予習で見て、本番と言う流れもよかったです。ともあれ、映像の中であっても、Nさん一家の元気な姿を見られたので、これまた感無量なり。無論、S.Kさん&Y.Nさんの演奏も去年にルパン三世に引き続き、スリリングで素晴らしかったです。





●新井満(1946-) 千の風になって
小森昭宏(1931-2016) いとまきのうた

ユングさんの絶唱を聴けたのも今回の大きな収穫でした。それも「千の風になって」というのがいい。発声方法とかブレスの問題とかいろいろ課題はあるにせよ、この歌の持つ音楽性を最大限表現していたと思います。歌というのは、上手くなると、上手く歌う事に主眼が置かれるようになって、自己陶酔な音楽になる危険性を常に はらんでいるのですが、今現在のユングさんの場合、とにかくこう歌いたいというのが前面に出ていてよかったです。

小森昭宏さんは、新井さんと同年代 と言う訳でもないですが、戦前と戦後でこうも作風が違うと言う事を「いとまきのうた」を聴くと痛感します。作曲者が違えば当然だろうと思うかもしれませんが、やはり生まれ育った空気と言うのは、生涯ついて離れないものなのですよ。そして、小森さんは今年の6月に亡くなっております。こういう曲をY.Kちゃんが弾くというその事実だけで、私にとっては充分です。作曲者はいなくなっても、作品はこうして子供にひきつがれてゆく。





●シャーマン兄弟(1925-2002) チム・チム・チェリー
エンリコ・モリコーネ(1928-)ニューシネマ・パラダイス

チム・チム・チェリーは言うまでもなく、アニメでないディズニー映画「メリー・ポピンズ」の中の煙突掃除の楽曲。とにかく子供が弾いて歌ってこそ光る音楽というのがあって、この曲はまさにそれ。ということを今回も痛感しました。どのような経緯があるにせよ、この歳でこの曲を人前で弾いたと言う事自体が、M.Gちゃんにとっての財産になると私は思います。

ニューシネマ・パラダイス、いいですよね。映画も音楽も。モリコーネさん、やはりシャーマン兄弟と同年代なんですよ。この世代の作曲家って、本当にメロディーメーカーが多くて(「ある愛の詩」のフランシス・レイ、「スター・ウオーズ」のジョン・ウイリアムズなど)、ぼんやりとタダ弾いていても様になる事が多いのです。しかし、さすがユングさん、メロディーによりかかることなく、素直にこう表現したいと言う事をきっちりやり通していて、本当に気持ちよく聴く事ができました。





●ウイリアム・ギロック(1917-1993) サラバンド、女王様のメヌエット
平井康三郎(1910-2002) 幻想曲「さくらさくら」

どちらも音楽教育に多大な足跡を残した人です。音楽が一部の特権階級でなくあらゆる人々が享受すべきという二十世紀前半の潮流をギロックはアメリカ合衆国で、平井は日本で体現した人ということなります。ということで、ピアノ学習者には馴染みのあるものが多いのですが、バイエルやブルグミュラーよりは近代的 でバルトークほどは前衛的でない作品群が今も生き残っています。Y.Mくんのサラバンド、音楽と言うより「自分の音」を出すことに傾注していて本当に美しい響きでした。しかし、これだけ繊細な音を出せてしまう彼はこれからどこに向かうのでしょうか。K.Mくんは、やる気があるのかないのか今年もよくわかりませ んでしたが、ユング家で過ごしている以上、音のセンスは着実に伝染している事がよくわかる演奏でした。

C.G君の幻想曲「さくらさくら」は、彼自身 が原点というだけあって、湿っぽい無駄な貯めもなく、非常にダイナミックレンジの広いスケールの大きい演奏でした。全音ピアノピースの一つなのですが、お手本演奏とか、まず駄目なのが多いので、真っ当な音楽的な演奏で聴いたのは今回が初めてで、なかなかよくできた曲だなあと再認識しました。





●リチャード・ロジャース(1902-1979) ドレミの歌
Sさん家とKさん家、両方で選曲された曲ですが、やはりそれぞれの演奏にカラ―が出てきて面白いですね。この曲は、シンプルに一人で弾いてもよし、大人数でポリフォニックに合奏してもよしの非常に優れた楽曲なのですが、今回は両方の面が聴けて楽しかったです。なお、作曲者のロジャースは、ハチャトリアンとほぼ同世代。と聞くとやはり何とはなしに納得してしまうのでした。





●エリック・サティ(1866-1925) ヴェクサシオン
クロード・ドビュッシー(1862-1918) 夢  前奏曲から「カノープ(の壺)」

サティは、たぶん西洋音楽史上初めて「音楽とは何か」と根源的に考えた人でしょう。今日では、ジムノペディとおまえが欲しいが有名になりすぎたので、そういう前衛的な部分は感じる事は少ないでしょうが、Y.O君は、まさにサティの前衛的部分をクローズアップして実演してくれました。ヴェクサシオンは、単純に同じフレーズを繰り返すだけでもいいのです。ミニマル音楽の開祖と言うべき作品なのですが、そこであえて変化を取り入れるために様々な試みを行いました。見ている人は当惑の方が大きかったかもしれませんが、ピアノと言う楽器が普段見慣れたものから、違う音響体に見えてきませんでしたか?そうであれば、Y.O君の試みもやった甲斐があるというものです(ま、そこは当人がどう考えていたかによりますが)。そして、スムーズに同時代の革新者であるドドビュッシーに移行してゆくのはさすがの演出です。カノープの壺の意味を知れば、なおさら洒落ていますね。

一方、N.Mさんの「夢」は、乙女のドビュッシーでした。ドビュッシーとしても、まだ革新者ではない頃の作品です。意外と、リズムの難しい曲で、響きを制御するのも大変かと思うのですが、ほんわかとシフォンケーキのようにまとめていただきました。御馳走さまです。





●ヨハネス・ブラームス(1833-1897) 創作主題による変奏曲
ヘンリ・クレイ・ワーク(1832-1884) 大きな古時計

ブラームスのこの変奏曲、人生を達観したような回想モードの曲のように聴こえますが、実はブラームスがまだ24歳の頃の恋多き時期の作品です。要するに、元々、こういう奴と言う事です。多くの演奏家は、まろやか上質なワインのようにこの曲を演奏するのですが、さすがにM.Mさん、この曲がたった今できたような生々しい刺さる演奏でした。各々の変奏の繰り返しを省いた事も、この曲の秘めた前進性が出していたと思います。桂さんが弾けば、極めてアグレッシブにたぶん別の方向へスッ飛んでしまうと予想されますが、やはりM.Mさんならでは重厚な演奏が聴けて嬉しかったです。

一方の大きな古時計ですが、フォスターと同世代のアメリカの作曲家ワークの作品です。アメリカはまだまだ音楽的には後進国で複雑な交響曲などを作曲できる人はまだまだ少数でした。よって、民謡を参考した歌曲中心の作曲家の天下だった訳ですが、その中でもこの「大きな古時計」は空前の大ヒット作だったようです。それは今でも続く訳ですから凄いですね。そして、この単純なメロディーには、やはりブラームスと同じ時代と言われて納得できる「空気」がありますね。でも、そんな事を考えなくても、Y.Kちゃんの訥々と鍵盤に向かって出てくる音に耳を傾けるだけで充分です。





●フレデリック・ショパン(1810-1849) ワルツ Op18、64-2、69-1  前奏曲   Op28-15
ヨハン・ブルグミュラー(1806-1874) 素直な心、優しく美しく

ショパンについてはいまさらあれこれ言うこともないのですが、ともあれ、楽譜通りに弾けば誰が弾いてもショパンになり、しかもその人それぞれの個性も出ると言う、ある意味、魔法使いのような作曲家です。K.Sさんの弾くワルツ、曲の特性もあるのでしょうけど、「おもてなしのショパン」と言う感じでしたね。誰かのためを思って丁寧にこしらえてくれた感じです。一方、E.Uさんのワルツ2曲は「普段着のショパン」といった感じでした。まあ、これもそういう曲でもあったのですが、小さなサロンで親密な人々が集う中で自然発生的に弾かれているような、そんな感じの演奏でした。実際、ショパンは本来、何百人も入る様な大ホールで聴くような作曲家ではないんですよね。まあ、楽器の発達のおかげで、大音量が出るようになり、今では普通に巨大なホールで演奏されていますが、ふと、そんな事を思い出させてくれました。そして、I.Kさんの前奏曲は「渾身のショパン」。良いと思った曲をとにかく全力で弾くという想いがしっかり伝わってきて、大変初々しかったです。ショパンというのは、同時代の作曲家の中では相当に和声が複雑で、いくらスローテンポでも慣れないと譜読みするのも難儀するものですが、I.Kさん、時間が限られるなか、かなり頑張ったのではないかと推察します。お疲れさまでした。

で、ほぼ同時代の人としてブルグミュラー。子供向けの作品と言えども、ショパンに比べたらこの和声の平明さを実感できるでしょう。まあ、ショパンと同時代の人といっても、意識はベートーベンから抜けられなかった人と言えるでしょうか。と言うか、ショパンが特異的過ぎるだけなんですが。ユング家の突然変異、S.Mちゃんのまっすぐな演奏は、文字通り「素直な心」そのままで、足早になることも、立ち止まる事もほぼなく、中庸な音とテンポですっきりと弾いてくれました。H.Kちゃんの「優しく美しく」もまた、訥々とした語り口でしみじにとしてしまいました。どちらの曲も腕に覚えがあるようになると、サラサラと無音楽に弾きとばされる運命にある曲なのですが、そうはなっていない二人に乾杯です。





●ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827) ピアノソナタ Op81a 「告別」
大曲です。そして、ベートーヴェンの作品の中では標題音楽として作曲者自身が記した数少ない例です。標題音楽でありながら、絶対音楽的に非常に密に構成されており同時に、非常にわかりやすい物語性もあり、全曲弾いてもらって正解でした。一楽章だけだとドラマの予告編で終わりだし、終楽章だけだと「なんでそうなった?」という話だし、二楽章だけだと何の話かさっぱりわからないでしょう。一楽章「告別」、二楽章「不在」、終楽章「再会」と言う流れでとらえないと、やはりこの曲は収まりが付きません。

と言うのは簡単で、主題をからめて全楽章あれこれ考え始めると頭がパンクする曲なので、M.Oさん、忙しい中練習して、かつ本番でも本当によく弾き切ったなあというのが一番の感想です。いや、ホントに凄いわ。お疲れさまでした。





●ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750) ガボット(管弦楽組曲3番 BWV1068から)
一応、補足しておくと、去年に弾いたガボットとは違います。今年は大バッハの本格的な曲の編曲。去年は、フランスのオペラ作曲家のアンプロワーズ・トマのガボットです。ともあれ、たったの一年間でのA.Oくんの圧倒的な進歩に驚きました。去年までは「楽器に弾かされている」感がありましたが、今年は「楽器を弾いている」感じになりましたね。ということで、それなりに構成の複雑なバッハのガボットもある程度自在に音楽的に弾きこなしていたのが凄いです。この先は、ヴァイオリンをどういった音楽の「道具」にしてゆくかによってやることは変わって来るでしょう。本格的に正統派の演奏家になるのであれば、つまらなくてももっと「型」と「音色」をきちんと定めていかないと、新たな音楽的課題に立ち向かう時にいずれ限界に突き当たります。そう言う事は抜きにして、ある程度楽しく音楽が出来れば良いというのなら、「型」は気にせずにいろいろな場で武者修行をしてください。センスがあるだけに、いろいろと誘惑もあり、なかなか難しい選択ですけど、どんな形であれ音楽は続けていってほしいですね。




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と言う事で簡単ですが、こんな感じで今年もあれこれ書いてしまいました。
とにかくこの集まりがある事が「平和」であり「平穏」であるということです。
今年はなぜか特にその事を痛感しました。



ところで、シン・ゴジラ、近年まれにみる傑作なので、是非、映画館でやっているうちにご覧ください。
特に、理系に興味のある方は是非とも!下手すると生涯にわたって影響を受ける映画になるかも。
誰が見ても色々な視点が持てる多面的な作品です。二時間あっというまですよ。




では。





ここまで ##################################################################################################






M.Oさんは、この演奏のDVDを観ているわけではありません。録音もしていません。純粋にその場で聴いた印象を深く刻んで反芻して、これだけのものを書かれています。M.Oさんの所感には、聴こえてくる音楽のその奥底にある真理のようなものに触れて、それを平易な言葉で解説してくださっているので、読んでいて「ああ、そうだったのか」と奏者自身が気づかされます。これを書けるのはやっぱりM.Oさんしかいません。毎年遠くからお越しいただいて、こんなプレゼントをくださるM.Oさん、本当にありがとうございます。



というわけで、ゴジラ観に行こうかな!!

1 件のコメント:

  1. 今年も素晴らしい所感をありがとうございます。本当に有り難いことです。
    日々目の前のことをこなすことに追われ、若い時ほど傷つかなくなったけど、感動する気持ちも薄れていっているのを感じます。
    このコンサートで、色々な音の世界に浸れることが、刺激的でとても楽しいです。
    MOさんの所感、ユーモアがあって何度も吹き出してしまいました。子供達のこともあたたかく見守って下さっていて、本当に感謝です。幸せな集まりだなぁと思います。
    願わくは来年はもっと自分の演奏に没頭したいと思います。
    来年も是非是非よろしくお願いします。

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